「ピースあいち」はどのように誕生したか

この資料館ができるまでには、大変長い時間がかかりました。多くの市民の努力がありました。その歩みを紹介しましょう。

あの戦争から長い時間が過ぎ、1990年代、高度経済成長を遂げた日本は豊かになり、世の中はあの戦争のことをどんどん忘れていきました。しかし、アジアで2000万人、日本で310万人の命が犠牲になったあの戦争のことを、日本中がこんなに早く、きれいさっぱり忘れてしまっていいのだろうか?と危惧した人たちがおりました。 その人たちは、1993年、愛知に戦争資料館をつくろうという運動を始めました。戦争は国策として行われたのだから、それを次世代に伝えていくのは、国や県市など公的な主体がやるべきことだと考えて、愛知県と名古屋市に戦争資料館をつくってほしいと呼びかけました。しかし、バブルといわれた好景気が去り、地方財政は悪化し、愛知県は万博や新空港建設に力を入れ、戦争資料館の建設には動きませんでした。

運動を始めて10年以上が過ぎ、運動が大きな壁にぶつかっていた2005年5月、突然、天から星が降ってくるような幸運が訪れました。加藤たづさんという当時84歳のご婦人から、名東区よもぎ台の土地90坪と建物建築費1億円のご寄付の申し出があったのです。 加藤たづさんは、戦争中から一生懸命勉強し、看護婦や助産婦の資格をとり、洋裁などもできる女性でした。戦後、結婚されましたが、早くに夫と死別、その後も自立して働き続けました。自分は質素な暮らしをし、一生かけて蓄えた財産を世の中のために役立てたいと考えて、戦争資料館建設のために、寄付をして下さったのです。

「戦争と平和の資料館ピースあいち」は、この寄付をもとに、市民が2年の歳月をかけて創り、2007年5月に開館しました。2010年8月には、愛知県教育委員会から「博物館相当施設」に指定されました。運営主体は、上記の資料館建設運動をしてきた「非営利活動法人平和のための戦争メモリアルセンター」です。 どうぞよろしくお願いします。

シリーズ 戦争を考えるための遺跡

ピースあいちメルマガに連載されている記事をこちらから見ることができます。 みなさんも戦争遺跡を見に出かけてみませんか。

椙山女学園大学文化情報学部の学生が制作した「ピースあいち」のドキュメンタリー

市民が手作りで平和発信~戦争資料館ピースあいち~ (19分45秒 | 約124MB) 【ドキュメンタリー】 【地域連携番組】

「戦争と平和の資料館ピースあいち」(名古屋市名東区)は市民が自ら設立・運営する日本では珍しい戦争資料館です。ボランティアの人たちは何を思い、何を考えながら、資料館の運営に取り組んでいるのか。この作品は女子大生の視点で平和を願う市民の思いと戦争の悲惨さを探ったドキュメンタリーです。

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