ピースあいちへ社会見学
四日市市立富洲原中学校 寺井 宗紀
1月29日、 「戦争体験者のお話をききたい」と2年生の生徒25人でピースあいちを訪れました。事前に生徒たちが聞きたい内容を考えるので、それに沿った形でお話してほしい とお願いしました。

ピースあいちからは、空襲体験の森下規矩夫さん、疎開体験の八神邦子さん、満州からの引き揚げ体験の松下哲子さんの書かれた体験記を送っていただき、生徒たちは「こんなことを聞いてみたい」と3人の方それぞれに質問項目をピースあいちに送りました。当日は6・7人ずつ3班に分かれ、ひざを突き合わせてお話を聞くことができました。
以下に生徒が書いた文章を掲載します。「ピースあいちでの見学では、どのようなことを学びましたか?」の問いに対してのものになります。できるだけ原文のままにしているため、読みにくい部分や間違った表現もありますがご了承ください。

森下規矩夫さん
【空襲体験の話について】
・戦争で暮らしが変わって怖かったことを聞いた。原爆の体験談からこわさ悲しさを学んだ。
・空襲時の様子やごはんの話、語り手さんの体験をきいて、戦争のつらさや大変さを学びました。
・森下さんのお話、体験を聞いただけで、戦争というものがいかに恐ろしく、平和というものが、いかに尊いのかよくわかりました。特に「郊外へ避難した時、町への空襲がよくみえ、真っ赤な日の傘だった。例えるならクリスマスツリーのようで、今でもクリスマスツリーを見ると思い出す」というお話しは心にささりました。

八神邦子さん
【疎開体験の話について】
・疎開や原爆(戦争)の悲惨さを詳しく学べました。今までの学習よりもっと詳しく知れて、より悲惨さが伝わってきました。
・疎開を体験した実際の話を聞けて、戦争とはやっぱりやってはいけないことだと感じました。原爆の話では今まで聞いたことがあることよりも、悲惨すぎて、いいこと1つもないと思いました。もし、自分がそのような状況だったらと考えると怖すぎるし、人生楽しくないし、悲しすぎてつらいと思いました。
・疎開は最初少し楽しいものかと思っていたけど、親に会えない寂しさやお腹がすいて虫とか食べて苦しい思いをしたのだと思いました。

松下哲子さん
【引き揚げ体験の話について】
・戦争は勝っても負けても決してしてはいけない。満州国は中国の一部を植民地にして侵略した国。中国の人をふみつけにしてぜいたくをしていた。終戦直前にソ連軍が攻めてきた。昭和20年に当時の北朝鮮のピョンヤンに疎開。満州に帰ったら一晩中声がする。ソ連兵がいて、とても怖かった。中国人は日本からの解放から喜んでいた。
・満州に住んでいたときは、日本のように食べ物がなくなってひもじくはなく、恵まれた生活をしていたが、日本が敗戦したことで引き揚げをすることになってしまったことが分かった。おふろにも入れず、食べ物はおいしくないし、船酔いや暑さはきつかったと学んだ。台車だけの列車に乗るのは、振り落とされる危険があったと学んだ。
・引き揚げの際大変だったこと。生活していた場所からいきなり出て行けと言われ、ひどくボロボロになりながら日本に帰ってきたこと。
・引き揚げ大変だった。長かったし食べ物もなかったし、おふろに入れないので体中ふきでものだらけだった。自分たちが逃げるため、幼い自分の子を自分の手で殺して逃げるしかなかった。とにかく寒かった。毛皮のコートを着たり、セーターを着たり、帽子、マスク、手袋をつけて寒さをしのいでいた。(暖房がない)