語り継ぎ手の会リボンの例会から
その2◆参加者との交流会「語り継ぎを学びあう」
運営委員 平岩 潤
11月17日、ピースあいちの語り継ぎ手の会(リボン)の例会の講師として、広島の被爆体験伝承者の大澤詩織さんをお招きしました。被爆体験伝承者とは、広島市が2012年から市の事業として養成を始めた人たちで、高齢化した被爆者の体験や思いを受け継ぎます。リボンの活動と重なるところが多いことから、講話の後も、リボン会員を中心にした25人の参加者との交流会の形で意見交換を行いました。
大澤さんは、広島の平和記念公園にある平和記念資料館で定期的に語り継ぎをされていますが、東京在住のため、北海道から名古屋あたりまで、要請に応じて出向くそうです。これは、同じ平和記念公園内にある国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が伝承者を無料で全国に派遣する事業を行なっているためで、私たちも今回この事業に申し込みました。
交流会ではまず、大澤さんがどういうプロセスを経て伝承者になったかが話題になりました。ご本人によると、おおむね3年かけて独り立ちするそうで、1年目は被爆の実相や話法技術の講義など座学が中心。2年目に被爆体験者とのマッチングが始まり、伝承する相手が決まると、その方と定期的なミーティングが始まります。このマッチングは1対1ではなく、例えば大澤さんが語り継ぐ切明千枝子さんという方は、30人ほどの伝承者がいて、それぞれ異なったアプローチで、伝承活動をされているそうです。
このミーティングを重ねながら、自分の原稿(シナリオ)や画面投影用のスライドを作成していきます。これができ上がり、チェックを受けた後に実演(試演)となります。大澤さんの場合、一度目は市の担当職員、次は体験者本人、最後に学芸員など専門家に、それぞれ見てもらい、O Kが出たので伝承者として活動ができるようになったとのことでした。
大澤さんの講話(中身については中村桂子さんによる別稿を参照してください)の内容についても、多くの反応がありました。
大澤さんの講話は、①当時の広島の街=軍都だった②被爆の実相③切明さんの被爆体験 の3点を、明確に分けて構成されているのが特徴です。中でも③の被爆体験の部分は、どこの場所で何が起きたかが時系列で生々しく語られ、聞く人の心を打つものでした。この点について、 大澤さんは「切明さんは被爆当時すでに15歳の女学生で、当時子どもだった人に比べると、記憶が鮮明だった」と説明します。
一方で、大澤さんは切明さんが「下着やモンペを工夫しておしゃれを楽しんだ」「先生にあだ名をつけた」など、女学校生活の楽しさを強調されていたことにも注目したそうです。「以前の生活を知ることで、被爆という出来事の重みが一層伝わってくる」と感じたためで、大澤さんは「時間の都合で長くは紹介できないかもしれないが、少なくとも自分の気持ちの中では、忘れずにいたい」と話していました。
私が印象に残ったのは、若い会員からの「聞き取りをする際に、どんなことを心掛けているか」という質問へのお答えでした。
大澤さんは、ある被爆者から「避難の途中で、お寺でもらったおにぎりの味が忘れられない」という話を聞いた時のことを紹介してくれました。大澤さんは、どうしてもこの場面を伝えたいと思い、おにぎりの大きさ、温かさ、匂いや香りなどを、詳しく聞き取っていったそうです。
この体験を通じて「自分が気になった単語をピックアップして、それを立体化していく」と、明確な言葉で自らの手法を明かしてくれました。質問者も「相手の言葉をそのまま受け取るだけでなく、自分から聞き出すことで深い理解につながるのですね」と頷いていました。
このほか参加者からは、「被爆の実相の説明があったことで理解が深まった」「語りの力が強かった。自分のシナリオを考え直したい」と、自らの語り継ぎを省みての感想が多く聞かれました。
リボンでは、 今回のような戦争体験の語り継ぎをされている外部の方との交流を活動の柱の一つにしています。今後も同じような機会を持ちたいと考えています。