戦争体験者の言葉を心に刻む――東邦高校文化祭での語り継ぎライブ――
名城大学経済学部教授・ピースあいち理事 渋井 康弘
(1)語り継ぎライブの衝撃
「なんて共感力の高い高校生なんだろう!」
東邦高校の文化祭(9月21日)で催された戦争体験語り継ぎライブで朗読する生徒たちを前にして、私は衝撃を受けました。朗読のほかにも、平和を紡ぐ歌や演奏、ペインティングを披露する生徒たちが協力し合い、このイベントをひとつの作品に仕上げていました。それは「この時代の日本にこんな素敵な若者がいるのか」と思わせてくれる、とても幸せな時間でした。
この中で行われた朗読は、故・杉山千佐子さんと橋本克己さんの戦争体験を語り継ぐものでした。杉山さんは自らの空襲体験にもとづき、2016年に亡くなるまで、民間被害者も補償する「戦時災害援護法」制定の必要性を訴え続けられた方。橋本さんは満蒙開拓団として家族で満州にわたり、終戦後、自分以外の家族全員が亡くなった中で、ひとり満州の地を逃げまどいながら引き揚げてこられた方です(当時は10歳くらいの少年でした)。そしてこのお二人の体験を語り継ぐ朗読は、圧倒的な力を持つものでした。
(2)雑音を消滅させた朗読の声
「なごや平和の日」制定に尽力してきた高校生たちのイベントですから、きっと素晴らしいものになるだろうとは思っていました。ただ、文化祭のさなかに中庭で行われたものですから、周りには絶えずアナウンスや効果音やバックミュージックが流れていて、当初、朗読の声はよく聞こえませんでした。大きな音の場内アナウンスによって、朗読に集中しようという気持ちが挫かれてしまうこともありました。
その環境は、最後まで変わらなかったのですが、いつしか私のなかで何かが変わりました。いつの間にか周りの雑音は聞こえなくなり、高校生たちの言葉のひとつひとつが杉山さんの言葉として、橋本さんの言葉として、私の中に入ってきました。私には、生徒たちの後ろに杉山さんが立っているのが見えました。満州からの引き揚げのつらさを語る生徒は、私には橋本さんに見えました(実際には橋本さんご自身は、私からそう遠くない観客席に座っておられたのですが)。
中央の白いスーツが橋本克己さん、前列右から2人目が筆者
(3)自らの言葉として語り継ぐ
なぜこんな風になったのか。その理由は朗読テクニックではないと思います。もちろん生徒たちはよく練習して、上手に朗読していました。しかしそれ以上に、朗読するひとりひとりが杉山さん、橋本さんに思いをはせ、二人の心に触れ、二人の言葉を心に刻み、それを自分自身の言葉として語っていた――そのことが語る言葉を本ものにしたのだと思います。涙を流しながら朗読する生徒たちの姿には、杉山さん、橋本さんの体験を自らの体験として感じようとする誠実さが現れていました。
生徒の何人かは、名城大学で私の講義に参加したことがあります。その講義では橋本さんにお話しいただき、生徒たちは積極的にその話を聞いていました。そしてそこでの話だけでは足りないと感じ、夏休みにもう一度橋本さんを訪ねて、より詳しくお話を伺ったそうです。橋本さんの体験を自分のこととして追体験しようと努力したのですね。「なごや平和の日」制定の請願運動、戦争体験者へのインタビュー、戦争を想像しながらのペインティング――そうした努力の積み重ねによって、生徒たちの「共感力」は研ぎ澄まされていったのでしょう。そういう努力をする若者たちを前にして、そこに大いなる希望の光を見いだすとともに、「私も大人としての責任を果たさねば」という思いを新たにしました。