「歴史と記憶」~ピースあいち訪問~
愛知県立大学外国語学部教員  佐野 直子




 2024年6月15日(土)、愛知県立大学外国語学部フランス語圏専攻の講義「フランス語上級講読」の講義の課外授業として、「ピースあいち」を学生10人(うちフランスからの留学生1名)とともに訪問させていただきました。その際に、満州からの引揚者である橋本克巳さんの「戦争体験の語り」を聞かせていただきました。

 なぜ、外国語学部のフランス語の授業の一環で戦争と平和の資料館を訪問し、かつ、満州引き揚げの体験を聞くのか?といぶかしがる方もいるかもしれません。
 実は、私が担当する「フランス語上級講読」科目では、毎年、フランスの高校の社会科の教科書の1章を取り上げて読むことにしています。今年度は、高校最高学年(terminale)の「歴史地理・地政学・政治科学」の中の「歴史と記憶」という章を扱いました。
( https://mesmanuels.fr/acces-libre/9782016289891 )
 この章は、単に「歴史的事実」を知識として学ぶのではなく、そもそも「歴史」とは何か、それは「記憶」とはどのように異なるのか、歴史家はいかにして歴史を記述するのか、その際に個々人や集団の記憶をどのように扱うのか、記憶はどのように継承されるのか、特に戦争・内戦・虐殺、そして「人道に対する罪」が起きてしまった時、人々は、政府は、そして国際社会は、その被害と加害の記憶とどのように向き合うのか、といった、非常に重い課題を正面から扱い、議論するように構成されています。

 個別の歴史事例を豊富に紹介しているため、1章分が80ページに及び、フランスやヨーロッパの事例が多く挙げられていることから学生(教員も)の知識も十分ではなく、週1コマ半期15回の講義ではほんの一部分しか扱えません。そして、歴史と記憶の違い、さまざまな記憶がときに対立すること、人々の多様な記憶がそのときどきの政治状況などによって国家から抑圧されたり逆に利用されたりすること、加害や被害の記憶がさらなる悲劇を生み出しうると同時に、平和構築に資することも可能であることなどを学んでいくにつれ、私たちは日本や名古屋といった、足元の記憶や歴史を知らなさすぎるのではないか、知らなくてはならないのではないか、と思い立ちました。
 特に「記憶」については、戦後80年が経とうとする中で、直接体験した方の話を聞く機会自体が希少になりつつあります。そこで、以前から活動は知っており、何よりも、戦争体験の記憶を聞く機会を提供してくださっているピースあいちさんを訪問することにしました。

 いくつかある戦争体験の語りのテーマを学生に選ばせようとしたところで驚いたのが、「引き揚げ体験」という表現そのものを、ほとんどの学生が知らなかったことです。「満州」こそが、まさに学ばずにいた歴史であり、語り継ぐべきなのに抑圧されている記憶に他ならないことがよくわかりました。
 フランスにも、「アルジェリア」という植民地とその独立戦争、アルジェリア植民者たちの引き揚げ体験、そしてフランスの犯したさまざまな暴虐の記憶や記録の徹底した隠蔽という暗い歴史がありますが、現在は、その記憶がどう扱われているかが教科書で事例として詳しく取り上げられています。比較の意味もあり、ぜひ、「引き揚げ体験」について伺いたい旨ピースあいちさんにお願いしました。
 語り手の橋本さんは、あらかじめお電話くださり、資料の紹介もしてくださいました。当日は、橋本さんは真っ白な靴で現れ、まさに現在起きている戦争で悲惨な思いをしている方々への黙祷から語りを始め、その後1時間、ずっと立ってお話ししてくださいました。
 以下は、後日提出された学生たちのレポートの抜粋です(日本語またはフランス語で提出)。



「La mémoire de la guerre reste fortement. Mais le gouvernement au Japon ne fait pas des actions pour rester la mémoire objective. En plus le Japon n’est pas seulement une victime, mais aussi un bourreau. Pour éviter une guerre, je crois qu'il faut créer des opportunités d'apprendre de manière concrète dans un enseignement obligatoire.
(戦争の記憶は強く残る。しかし政府は客観的な記憶を残すための行動を取っていない。さらに、日本は被害者なだけでなく加害者でもある。戦争を避けるためには、義務教育の中で、具体的な形で学ぶ機会が必要だと考える)」

「J'ai écouté l'histoire de Monsieur Hashimoto dans un état de ignorance concernant 《Rapatriement en Mandchourie》. La source de la cause était, après tout, le gouvernement japonais, les Japonais devraient mieux comprendre l'histoire de la terrible Rapatriement de la Mandchourie, et ceux d'entre nous qui ne connaissent pas la guerre ne devraient pas rester ignorants des horreurs commises par le Japon.
(私は「満州引き揚げ」について、何も知らない状態で橋本さんの話を聞いた。この出来事の根本原因は日本政府にあり、日本人はこの恐ろしい「満州引き揚げ」についてより理解しなくてはならず、戦争を知らない世代の私たちは、日本国によって起きた惨禍に対して無知でいてはならない)」

「Je pense que transmettre la mémoire est crucial non seulement pour éviter les mêmes erreurs et tragédies, mais aussi pour partager des leçons avec les générations futures. Les événements historiques vécus faisant partie intégrante de l’identité des victimes, perpétuer la mémoire devient un moyen de reconnaître et respecter leur propre passé et identité.
 En apprenant des événements passés , nous pouvons montrer une volonté active de responsabilité sociale et de quête de justice. Cela est essentiel pour éviter de répéter les mêmes erreurs et contribuer à construire des valeurs communes au sein de la société.
(私は、記憶を継承することは、同じ過ちや悲劇を避けるためのみならず、次世代がそこからの学びを共有するために不可欠であると考える。体験した歴史的な出来事は、犠牲者の方々のアイデンティティの一部にもなっているので、この記憶を保存し続けることが、彼らの過去とアイデンティティを承認し、尊重する手段になる。過去の出来事から学ぶことで、私たちは社会的責任と正義の追求に対する積極的な意思を示すことができる。それは、同じ過ちを繰り返させず、社会の中で共通の価値観を構築するためには不可欠である。)」

「En écoutant l’histoire de M.Hashimoto, j’ai fortement senti que les mémoires négatives, tel que la tristesse, la haine et la rancœur, étaient inoubliables même si l’on voulait les oublier. Et puis, j’ai été impressionée par le fait que M.Hashimoto a dit qu’il était également un agresseur. Selon sa position, il peut être à la fois l’agresseur et la victime. Nous devons créer un avenir qui récompense ceux qui , comme M.Hashimoto, utilisent des mémoires négatives qu’ils ne veulent pas rappeler pour la paix et tout le monde doit se sentir concerné.
(橋本さんのお話を伺って、悲しみや憎しみ、恨みといったネガティブな記憶は、忘れたくても忘れられないのだと強く感じた。そして、橋本さんが「自分は加害者でもある」と語ったことが印象的だった。立場によって、加害者にも被害者にもなり得る。私たちは、橋本さんのような、思い出したくない負の記憶を平和のために使うような方々が報われるような未来を作らなくてはならないし、みんなが当事者であると感じなくてはならない。)」

「Raconter des expériences des guerres est non seulement important mais cela aussi a le rôle d’empêcher de répéter la tragédie dans la future. Au Japon, après la guerre, il y a eu la tendance générale de "ne pas laisser, ne pas transmettre et ne pas enseigner". Donc nous nous laissons dépasser beaucoup avec des activités pour la paix par les autre pays.
 Je suis de la préfecture Mie, mais j'ai peu de connaissances sur la guerre ce qui concerne Mie et Nagoya. J'ai remarqué que je dois apprendre plus sur les mémoires de les guerres et transmettre ces histoires pour la prochaine génération.
(戦争の経験について語ることは重要なだけでなく、未来に悲劇を繰り返させない役割もある。日本では、戦後、「残さない、伝えない、教えない」という風潮があった。そのため、私たちは、平和活動の点で、他国にずいぶん追い越されてしまっている。私は三重県出身だが、三重や名古屋の戦争についてほとんど知らない。戦争の記憶についてもっと知り、次の世代に伝えていかなくてはならないと気づいた)」

「ピースあいちで橋本さんは、日本に戻ってからの橋本さんに対する人々の見方が段々と変わっていったとおっしゃっていて、差別を受けていたのではないかと感じた。戦争に関する資料館に、戦争後の医療の手当ての保証書などが展示されていたが、保障は誰を対象に行われたのか、その内容はどのようなものか。その保障は本当にしっかり行われたのか、形だけではないのか。」

「満洲引き上げの経験を通してのお話をお伺いして、時間の問題もあったかもしれないが、何十年経った今でもまだ人前で話すことができない記憶の部分が存在すると気づいた。経験していない私たちはそれを知り得ない。これからもおそらく知ることはできないであろう。その上、戦争を経験した人たちを前にして、その部分についての質問なんてできなかった。性被害についての話はもっと難しいのかもしれない。人に話しにくい内容であるし若年者にはうまく伝えることができない。こうした弊害が性被害の問題を有耶無耶にしてしまう。悲惨であるからこそ知るべきなのにその記憶はどんどん失われていってしまうだろう。
 こういった人間だからこそ起こっている現実が歴史の真実を変えていっているのかもしれない。だからこそ記憶の扱いは難しいと改めて考えさせられた。それだからといってそこに触れないのは平和を求める上でやってはいけないことで伝えていくこと、知っていくことが複雑で難しいが大切なことであると強く感じた。」

「橋本さんは戦争の体験を後世に伝える活動をしていらっしゃるので、二度と戦争が起きないように今度はあなたたちが動いてほしいといったメッセージを伝えたいのではないかと、遠足に行く前は想像していた。そのため、橋本さんが最後に『皆さんの幸せを願っています』とおっしゃっていたことが一番印象に残っている。ご自身が非常に辛い経験をされたと思うのに、私たちの幸せを願ってくださっているお言葉で最後お話を締められたことに心を打たれた。」


 当日は午前中にピースあいち、昼に千種公園でお昼を食べ、午後に「愛知・名古屋 戦争に関する資料館」を訪問するというタイトなスケジュールだったため、2階3階の展示にじっくり時間が割けなかったことが残念でしたが、愛知県の戦争の記憶、加害者としての側面、戦争の悲惨さから目を背けさせないという覚悟の展示などが、学生にとっても非常に印象的であったようです。
 語り手の橋本さんを始め、私たちを迎えてくださったピースあいちの皆様に、この場を借りて改めてお礼申し上げます。また、機会があったら、ぜひ学生とともに訪問したいと思っています。