今月のピースあいち◆来館者アンケートから

                                           
 

 企画展「沖縄から平和を考える~辺野古の海は今」が終了し、23日からはじまる夏の特別企画「マンガと戦争」の準備の真最中です。8月1日からはじまる「戦争体験を聴くシリーズ」への参加申し込みのお電話も増えています。夏休み、ご家族連れで、あるいはお友だちとご一緒に、ピースあいちで戦争と平和について考えていただけましたら。 6月ご来館アンケートから…。

戦争なんて経験したことないです。「20世紀」と聞いても大昔のように聞こえます。しかし、このピースあいちの資料を見たり、学校で歴史を学んでいたら、今も戦争のきずあとがあって、他人事ではないと思えてきました。「平和」は口では簡単に言えるけど、そうそう叶えられないです。それでも私は平和に感謝し、願いたいと思います。(15歳女性)

沖縄が好きで、図書館でチラシを見てきました。戦争のおそろしさ、おろかさ、生産性の無さが痛いくらいよく分かりました。沖縄の米軍基地問題は、まだ戦争が終わっていないことを表していると思います。早く本当の平和がくるように祈ります。(39歳女性)

日本軍の強制による集団死(虐殺)、アブチラガマ、戦争マラリア、天皇メッセージ、本土守備のしわよせ、沖縄の歴史を事実を学ぶことができた。ガザの虐殺が続いている今、日本でも琉球(沖縄)で起こされたことを忘れまい。(64歳男性)

ビデオやパネル、3階展示室視聴コーナーがあり、わかりやすく、読みやすく、楽しくみせてもらいました。沖縄各地でも平和学習がしっかり行われているのがわかった。もっと日本内地でもやらなくてはと思った。「なごや平和の日」をもっと知らせて、平和の大切さ、悲惨さを伝えていきたい。(77歳女性)

多くの貴重な展示品を見せていただきありがとうございます。沖縄の戦跡を訪れることは度々ありますが、自分の身近な地域ではなかなか戦争について学ぶ機会がないので、時々は時間をつくって訪れたいと思います。(53歳女性)

沖縄の戦前・中・後について、はずかしながら事実を初めてしっかりと知りました。別の本を読んで展示とあわせてしっかりとした知識を身につけて、後世に語り継がなければならないと思いました。高校までに全員が「沖縄史」「戦争歴史」を学ばなくてはいけません。(49歳男性)

沖縄の企画展を見に来ました。今も負担を強いられている状況、沖縄戦直前の世の中が、今と変わらないところもあることに気づきました。(34歳男性)

私の祖父母はみな戦後生まれで、名古屋にフォーカスした戦争体験談や当時の名古屋や自分の住んでいた地域の様子について知る機会がなかった。ピースあいちを訪れ、展示品を見たことで、広島や沖縄の平和資料館ではどこか遠くから眺めていただけだった戦争を、やっと自分ごと、身近なこととして感じられたように思いました。(18歳女性)

県や市の動きを待たずに、寄付をいただいてこのような施設を建てる行動力にとても感心しました。戦後けっこう復興してから生まれた私たちに伝えたい想いを感じ、私たちも後世に伝えていきたい、とぎれさせたくないと思いました。実際に名古屋空襲がどのようなものだったかの資料をみて、私が住んでいる街は全焼していて、今の姿からはとても想像できないと思いました。「証言」のパネルは日記のようで、当時のことをリアルに感じられて胸が痛みました。特に“豊橋空襲体験記”と“母と逃げた名古屋空襲”の2つが印象に残りました。企画展示である「沖縄」については、日本側のひどさがよく分かりました。強制集団死があったこと、またそれを隠そうとするなんてありえないと思います。今も住民の意見を無視して辺野古埋め立てを行っており、民主主義とは?と感じました。(19歳女性)

一番初めに見た「焼夷区域図」で、今は栄えている中区のほぼ全域が焼失したことを知り、とてもおどろきました。私は春日井出身ですが、春日井の方の証言を見て、自分の無知と、その話を伝える人がいないということに気づきました。今、王子製紙の工場があるところが昔軍需工場であったことは、祖母や母から教えてもらいましたが、模擬原爆がおとされたという話ははじめて知りました。なぜ地元ではこの話があまり知られていないのか、学校で教えられないのか疑問に思いました。いくつかの証言で、空襲の後、街に首や脚、胴、手がバラバラに落ちていたり、電線にかかっていたことが書かれていました。今まで、焼夷弾の被害は火災で、焼けて亡くなる方が多いものだと思っていましたが、爆発の衝撃が自分が思っていたよりも大きかったことにおどろきました。(18歳女性)

人の命を奪い、自分の命も奪われるかもしれない戦争に対して、多くの国民や青少年が協力的に参加していたことに大きな衝撃をうけた。確かに本来正しいことを教えてくれるはずの学校の先生や誰よりも信頼している家族に、「国のために命をかけろ」と教えられたら、それが正しいことだと信じてしまうし、逆に私も他の人にそう教えてしまうと思った。天皇の神格化も国民の強化に大きな役割を果たしていたのだと感じた。(18歳女性)

上空から見れば「市民の暮らしの場」でなく、単なる「目標」と見えているという事実に驚きました。また、上空から攻撃する側は、「殺した相手を見ていない」ことから平気で爆撃できてしまうことが、とても怖いと感じました。戦時中に使われていた兵器や服などの実物を見ることで、これが本当に使われていたのだなと授業で習ったり、話を聞いたりするよりも現実味がありました。「証言」コーナーにあった実際の出来事の話がとても生々しく、常に死と隣り合わせにあったことを実感させられました。日本が戦争をしていたという過去について知っていましたが、今日、写真や実物を見て改めて恐ろしいものだと思いました。今現在私が平和に暮らせていることに感謝しつつ、今もなお続く戦争について、考え直していくべきだと思いました。(18歳女性)

名古屋は空襲が激しかったことや沖縄で1010空襲があったことなど、全く知らなかったことばかりでした。私が今まで学習してきたのは、あくまで教科書の内容で、そこで書かれなかったことや、省かれたことがあるのを思い知りました。一つ一つの出来事で多くの人々が亡くなったことは事実であるのに、原爆などの大きな出来事でないと次第に忘れられてしまうのかと思いました。戦時中は当たり前に死が隣にあったことが「命の壁」から伝わりました。

一般家庭の居間の展示がよかった。足が疲れていたので、今すぐくつろぎたい気分になるも、愛国心を試すような家具の数々が執拗に市民たちを戦争にかり出す狙いがそこにはあった。多くの人はそれに気づかず、自分の人生の目的を戦争にささげることになっただろうし、気づいた人も、何も抗うことはできず、国全体の流れに身を任せることしかできなかったのだろう。(21歳男性)

名古屋の空襲を見ると、軍需工場ではなく市民の生活そのものの破壊が目的であったように感じた。一般人が否応なく蹂躙されていく総力戦体制は、どの立場の人であっても地獄のような環境だったのではないかと思う。市民の証言を読んでいくと、身近にいた一番の敵は日本兵だったのではないかと思った。逃げ出すことは許されず、自決することも強いられた。教育や施設、言論や芸術など全てが戦争に向けて仕向けられていたと考えると、恐ろしいと感じた。名古屋の街に大きな被害を与えた空襲は、特に人間の倫理感を削ぐものだったと思う。空襲する側はただ爆弾を落とすだけで、そこには相手の苦しむ顔も悲痛な声も聞こえない。今の時代に通じる。戦争を繰り返す中で、人々は命の価値がわからなくなってしまったのかもしれない。“今”を生きることに必死になれば、周囲のことなど気にしていられない。このような冷静な判断ができなくなる前に、私たちは戦争の悲惨さ、無意味さ、命の重みを十分に理解し、二度と戦争をおこさない、加担しないという意志を持つべきだと思った。(18歳女性)

資料や展示物(現物)を見て実感しました。書籍やVTRでは伝わらない“本物の伝える力”を。何度もここへ足を運んで体感したいです。この印象を孫たちにも伝えたいと思います。(73歳男性)