「あと1日」を繰り返さないために
ボランティア 湯浅 綾佳
6月8日、ピースあいちの一角で名古屋空襲に関する勉強会が開かれました。
企画・参加したのは、筆者含め、ピースあいちでボランティアをしている「Z世代」と呼ばれる年代の4人です。戦争を知らないが故に、何を切り口にして活動してよいか分からないという悩みを抱き、ピースあいちに携わっている先生のお力を借りて開催するに至りました。
初回の題材は、基本的には名古屋空襲の概要と周辺地域の空襲の繋がりでしたが、先生の専攻も含めて多岐に渡りました。筆者の印象に残った一部をご紹介します。
名古屋市への空襲ではありませんが、1945年8月14日の午後3時頃、春日井や豊田で空襲の被害がありました。このときに春日井にも落とされていたのが、模擬原爆パンプキンです。
降伏とは通常、誰にも知らされずドッキリで宣言されるものではなく、少なくとも敵国には内々に知らされ、準備を経て国民に宣言されます。それにも関わらず、終戦前日、しかも玉音放送まで24時間を切ったタイミングでなぜ空襲が行われたのでしょうか。
実は日本のポツダム宣言受諾は、長崎に原爆が落とされた直後に内々に連合国側に伝えられており、それ以降の米軍からの空襲は中止されていました。しかしなかなか正式な受諾宣言がされず、しびれを切らした米国が最後通告として空襲を仕掛けます。米軍で「フィナーレ爆撃」と呼ばれた終戦前日の空襲が文字通りの最後通告となり、15日正午に玉音放送の後押しになったのです。
長崎原爆投下から13日までの間に正式かつ速やかに終戦宣言が出ていれば、終戦まで24時間を切ったタイミングで命を落とす人はいなかったかもしれません。
学べば学ぶほど見えてくるのは、「なぜこの人たちは死ななければならなかったのか」という疑問です。せめて少しでも早ければ、あと1日だけでもずれていれば救われたかもしれない命がある。そんな瀬戸際に晒される命を、もう二度と生み出してはならない。そのことを強く感じました。
…そうは言っても、私たち20代以下の世代にとって、戦争は教科書か遠い外国で起きているものであり、机上でしか学ぶことができません。そこで気付いたことが1つ。
「戦争を知らないのは当然だけど、自分たちが生きている『平和』というものも実は知らないのでは?」
自分たちにとっては当たり前だからこそ、今の平和すら知らない。だから未来の平和も描けない。
そんな問題意識をもった活動をしていきたいと、参加した4人であらためて考えました。
その思いを胸に現在つくっている新企画は、ピースあいちで来年3月と8月にお披露目予定です!ぜひ、足を運んでいただければと思います。