◆所蔵品から◆資料ナンバー8489 文藝春秋 1943年11月号の話
資料班
文藝春秋 1943年11月号
今月は、80年以上前に出た雑誌、「文藝春秋」1943年11月号をご紹介します。表紙は秋らしく栗のデザインで、「出陣する学徒」の文字があります。
1943年10月に、それまでは猶予されていた学生の徴兵が始まります。
文藝春秋 1943年11月号
最終ページの編集後記に、「学生生徒に対する徴兵猶予の停止」についての文章があります。
「正しい皇国の学を生み出す一大契機となることをわれわれは信ずる。」という言葉で終わっています。これから見ていただく中身も、出陣学徒のあと押しをするような内容になっています。
文藝春秋 1943年11月号
「出陣する学徒へ」と「学徒の誓い」、2つの記事をご紹介します。
文藝春秋 1943年11月号 「出陣する学徒へ」部分
「出陣する学徒へ」の一部分を抜き出してみました。
雪辱戦に向け猛練習をしている射撃部の主将(旧制高校3年)が、「時局柄遠征試合に行くべきではないと意見を言う部員がいる」と筆者に話す、というエピソードが出てきます。
部長の方針(遠征)に反対する、というような考えは、明らかに「み国ぶりとちがうところがある」と筆者は述べます。日本(み国)的ではないと。
「主将たるもの」が雪辱を決意して練習を始めたのに、「部下」にあるものが正しいかどうか考えるのはおかしい。そのような考えでは戦争で戦えない。軍人勅諭の教えにも反すると書かれています。
その部員に理屈で勝てないなら「まあ拳骨の一つも食わすよりほかないですね」と続きます。部活動のキャプテンとチームメイトの間にそこまでくっきりとした上下関係があることや、文筆を職業にしていると思われる筆者が暴力での解決を良しとすることなどは意外に感じ、驚きもしましたが、戦争の時代の「正しさ」や、戦争遂行のロジックのあり方が見えたようにも思いました。
文藝春秋 1943年11月号 「学徒の誓い」冒頭
「学徒の誓い」の方は、なかなか読むのに苦労しました(途中で寝そうになりました)。
冒頭と末尾だけご紹介します。「人生廿五年」という言葉が筆者の耳に入るところから始まります。「人生50年」という決まり文句をちょっと変えて「人生25年」。海軍予備学生に志願する筆者は「これこそ俺にそっくり与えられている言葉」と考えます。
文藝春秋 1943年11月号 「学徒の誓い」末尾
末尾では、学友に先駆けて、学問を捨てて戦場に行く自分は抜け駆け、卑怯者と思われるだろうか、と筆者は悩みます。しかし、自分の戦場での体験が「何かに於(おい)て友の究学を援(たす)ける」「僕の『学徒兵』としての死も、あながち無意義ではなかろう。」と思いをつづります。
80年後(2024年)に、ピースあいちの所蔵品の中でこの文章「学徒の誓い」と出会った私が思った事を最後に書きます。自分の命の行く末を見つめて書かれた文章だと思うと、心に迫ってくるものがあります(寝そうになるとか言ってすまなかった)。でも同調することはできない。今の私は、若者が(若者でない人も)戦争によって死と向き合わされる事態が起きないように、できることを考えたり行動したりしていくのだよなと思いました。
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