◆所蔵品から◆資料ナンバー10326
再び、小冊子「一日一銭献金運動経過並 陸軍機命名次第報告書」の話
資料班
「一日一銭献金運動並陸軍機命名次第報告書」
現在(2024年3月)、ピースあいちでは企画展「名古屋空襲を知る―なごや平和の日制定に寄せて」が始まっています。
名古屋への空襲について改めて学べるパネル展示があります。空襲に遭(あ)った国民学校(現在の小学校)についてのパネルの中に「国民学校の校区は『連区(=複数の町内会)』が基本」という解説がありました。
前々回の「所蔵品から」で、飛行機を寄付するための献金についての冊子をご紹介しました。その中で、「連区」ごとに金額を集計していました。
今回の展示のパネルを見て、連区=国民学校の学区ということがわかりました。パネルには、それぞれの学校が何月何日に空襲で被災したかという表があります。
連区・被災月日対照図
連区ごとの献金額の表に、国民学校が被災した月日〔すべて1945(昭和20)年〕を付けてみました。3月は黄色からオレンジ、5月はピンクで、日ごとにグラデーションにしました。最初のページは千種区と東区の一部。当時の名古屋市の北東部です。3月に空襲に遭った学校が多いです。(月日のデータは、開催中の空襲展のパネルの表をもとにしています)
冊子の発行は1942(昭和17)年、空襲は1945年なので、年代のずれがあります。さらに、連区の表には国民学校の高等科の学校名が出てきません。この冊子には名前が出てこないけれども空襲の被害に遭った学校については「高牟 3月25日」「東山 5月14日」のように、学校名を入れて付け足しています。
連区・被災月日対照図
続いては東区の続きと、西区。2枚目は西区の後半と中村区です。名古屋城に近い地域が含まれています。名古屋城が燃えた5月14日の空襲で被害に遭った学校がいくつもあります。
緑色の1月3日が出てきました。1月3日の空襲では名古屋駅(名古屋市中村区)周辺が被害を受けました。その時の航空写真を今回の空襲展のパネルで見ることができます。
連区・被災月日対照図
中区、名古屋市の中心部です。3月12日・19日に被災している学校が多いです。
中区だけで20の連区があります。現在、中区の名古屋市立の小学校は10校です。かなり統合が進んでいます。
最後の「小針」連区は、同名の連区が昭和区にもあり、学校は昭和区にあったので、中区のほうは薄い色にしています。
連区・被災月日対照図
最後まで続けて3ページご紹介します。昭和区、熱田区、中川区、港区、最後のページが南区です。
市街地南部が被害を受けた5月17日に被災している学校が多いです。
新聞の切り抜き
今回もうひとつご紹介するのは、新聞の切り抜きです。「道路に居座り 無縁仏のお地蔵さん」。「昭和30年」なので、1955年、戦後の記事です。
新聞の切り抜き 拡大
中区千早、工事中の100メートル道路の中央に取り残されたお地蔵さん。写真には「平和地蔵尊(?)」の文字も見えます。
現在このお地蔵さんは、ピースあいちの前庭にいます。毎年3月にはともし火法要が行われています。
詳しい画像はこちらからどうぞ。馴染みのある小学校(の前身)を、探してみてください。
https://peace-aichi.com/pdf/20240321_kuushuurenku.pdf
ピースあいちウェブサイトの、所蔵品の紹介のページからも、バックナンバーの関連画像が見られます。よかったらこちらもどうぞ。
https://peace-aichi.com/objects/