ピースあいちと寄贈品展の役割 ◆寄贈品「名古屋地区地勢調査書No.134」をとおして
広中 一成 (愛知学院大学文学部歴史学科准教授)
アメリカからもたらされた寄贈品
今回展示されている寄贈品のなかに、愛知県の地理や米軍機の飛行経路、米軍艦船の上陸予定地点などを描いた「名古屋地区地勢調査書No.134」と題する計23種の史料がある。これらは太平洋戦争末期、日本本土の攻撃を考えていた米軍が作製した地図ならびに関連する写真類だ。
米軍が日本本土、特に愛知県や東海地方をどのように攻撃しようとしたのか、いかに詳細に調査をしていたのかということなどがわかり、戦争の実像を知ることができる貴重な記録といえる。
この史料の寄贈者はアメリカ在住で、米国NPO法人「キセキ遺留品返還プロジェクト」(キセキプロジェクト)の一環として、同国内のネットオークションでそれらを購入。昨年4月、史料にゆかりのある愛知県のピースあいちに寄贈した。
キセキプロジェクトから寄贈された米軍資料
太平洋戦争中、米軍兵士の一部は戦場で手に入れた日本軍人の所有物(戦争遺留品)を戦いの記念として本国に持ち帰った。それらは、その後も大切に保存されたものもあれば、所有者が亡くなるなどして手放されたものもあり、近年ではネットオークションで大量に売買されている。戦争の実態を示す史料ともいえる戦争遺留品が、まるで骨董品のように扱われているのだ。
このような状況に心を痛めたアメリカ・オハイオ州在住の日本人医師が、1971年より私財を投じて戦争遺留品を手に入れ、持ち主またはその遺族に返還する取り組みを始めた。その後、この活動は各方面から支持を集めるとともに賛同者が増え、今日、「キセキプロジェクト」として継続されている。
筆者はある友人から寄贈者を紹介され、さらにピースあいちへの寄贈を仲介した。急な申し出であったにもかかわらず、ピースあいち関係者の多大なるご協力のもと、つつがなく寄贈ができたことは喜びにたえず、関係各位に御礼を申し上げたい。
ピースあいちの存在と寄贈品展を開催する意味
上記アメリカでの事例のような、戦争遺留品の流出は日本でも起きている。例えば、パソコン上のインターネットオークションで「戦争」というキーワードで検索すると、アジア太平洋戦争の際に使用された軍装品や、戦地から送られた手紙、戦場や将兵の姿を撮った写真類などが大量に売りに出されていることがわかる。
また、将兵が戦場から持ち帰り、家のタンスや押し入れに長く保管されていた戦争にまつわる品々も、年月を経ることでその来歴がわからなくなり、家主の代替わりや家の建て替えをきっかけにそれらを手放すケースが年々増えているという。
史料が史料であるためには、それらがひとまとまりとなっていて、かつ5W1H(いつ〔When〕、どこで〔Where〕、誰が〔Who〕、何を〔What〕、なぜ〔Why〕、どのように〔How〕)のどれかひとつでもはっきりしていると、その来歴を探りやすい。反対に戦争遺留品がばらばらにされて骨董品化されると、史料として用いることがきわめて難しくなる。
よって、戦争の記憶を将来へつなげるためには、それら戦争遺留品の散逸をできるだけ避け、なおかつ史料的価値を見出す必要がある。そのためにはどうすればよいか。
寄贈品展会場
考えられるもっとも適切な方法のひとつは、史料館や博物館が戦争遺留品を受け入れ、適宜公開することだ。この点で成果をあげているのがピースあいちであり、毎年度開催している寄贈品展ではないか。今回で第11回目となる同展では、キセキプロジェクトの寄贈品以外にも、戦争の実像を伝える品々全263点が展示されており、きわめて意義深い。
敗戦からもうすぐ80年を迎え、日本人の戦争の記憶はほとんど消えかかっている。しかし、近年世界各地で戦争が巻き起こるなか、私たちはかつて私たちが起こした戦争の記憶を振り返り、加害国のひとりとして平和の尊さを訴えていかなければならないだろう。そのためにピースあいちは存在し、寄贈品展は開催する意味があるのだ。