◆所蔵品から◆
資料ナンバー10326 小冊子「一日一銭献金運動経過並 陸軍機命名次第報告書」の話
資料班



「一日一銭献金運動経過並 陸軍機命名次第報告書」

「一日一銭献金運動経過並 陸軍機命名次第報告書」表紙

 第11回寄贈品展 戦争が遺(のこ)したモノたち の展示期間も残り1か月になりました。(2024年2月24日まで)
 今月は展示資料から、「一日一銭献金運動経過並 陸軍機命名次第報告書」をご紹介します。改行の直前の「並」は1文字で「ならびに」(and)です。
 表紙には「昭和十七年(=1942年)九月二十日」「名古屋市」「大政翼賛会名古屋市支部」と書いてあります。
 この冊子は、1日1銭ずつお金を集めて、飛行機を献納しよう、という運動の報告書です。

「一日一銭献金運動経過並 陸軍機命名次第報告書」

「一日一銭献金運動経過並 陸軍機命名次第報告書」

 冒頭にはポスターが載せられています。
 「感謝飛行挙行」のポスターです。お金が集まって、軍に贈られた飛行機は「名古屋隣組号」と名づけられ、名古屋上空でお披露目をするようです。上のポスターには「われらの飛行機名古屋の空を飛ぶ」というフレーズがあります。
 

「一日一銭献金運動経過並 陸軍機命名次第報告書」

「一日一銭献金運動経過並 陸軍機命名次第報告書」

 ポスターの隣のページです。まず宣言。「遂にその日は来たのであります。われ等の飛行機が、われ等の爆撃機が、暴戻米英軍に一撃をくらはせ、聖なる大東亜戦に、われ等一日一錢隣組号機参加の日が来たのであります。」
 「暴戻」は、ぼうれいと読みます。戻という字は「もどる」以外に「道理にそむく」という意味があるそうです。とても調子というかリズムの良い文章です。
 その次の文に「百五十萬市民」とあることから、 1942年の名古屋市の人口はおよそ150万人だったようです。
  次は会計の報告です。 集まった金額は、「金五七六、八八五円四二錢」。57万6885円42銭です。1円 =100銭で計算すると5768万8542銭です。150万で割ると約38.5銭。
 後の「明細」のページを見ると、1月から5月、5か月にわたって集めていたようです。毎日1銭集めると5か月で約150銭になります。1人1銭ずつではなく、1家族(4人ぐらい)あたり1日1銭ずつ集めると人口1人あたりが38.5銭になりそうです。

「一日一銭献金運動経過並 陸軍機命名次第報告書」

「一日一銭献金運動経過並 陸軍機命名次第報告書」

 献納飛行機の命名式が、この冊子の表紙の日付である1942年9月20日に行われています。陸軍大臣東条英機の名前で6000人以上に軍から案内状が出ています。

「一日一銭献金運動経過並 陸軍機命名次第報告書」

「一日一銭献金運動経過並 陸軍機命名次第報告書」

 命名式の「式次第」です。
 「開式」「国家奉唱」に続いて「修祓」(しゅばつ)「降神」「献饌」(けんせん)「祝詞」(のりと)と続きます。お祓いをしてお供えをして祝詞をあげる。宗教的な行事だったようです。
 続いては「経過報告」「命名」「感謝状交付」「謝辞」「祝辞」。
 そのあとはまた神事に戻って「玉串奉奠」(たまぐしほうてん)「撤饌」(てっせん)「神符受授」「昇神」、 「花束贈呈」「万歳奉唱」「閉式」となります。

「一日一銭献金運動経過並 陸軍機命名次第報告書」

「一日一銭献金運動経過並 陸軍機命名次第報告書」

 会場は名古屋飛行場。会場の図も載っています。

「一日一銭献金運動経過並 陸軍機命名次第報告書」

「一日一銭献金運動経過並 陸軍機命名次第報告書」

 「明細書」のページです。献金の額が、1月から5月までの月ごとに、そして「聯区」ごとにまとめられています。今の漢字で書くと「連区」です。町内会をいくつかずつまとめたのが「連区」です。 千種区には9の「連区」があったようです。小学校の学区ぐらいのイメージではないのか?と思って、今の千種区にある小学校のリストと比べてみると、千種・田代・高見・上野(3・4・5・7番目)は、現在同じ名前の小学校があります。1942年当時は国民学校でした。今池・池内(1・2番目)は内山小学校になり、高松国民学校(6番目)は千種小学校に統合され、丸田国民学校(8番目)は春岡小学校に、松軒国民学校(9番目)は大和小学校になります。「連区」は、ほぼ小学校(当時は国民学校)の学区と対応が取れるようです。(細かい違いがあるかもしれませんが、今回調べきれていません。)

「一日一銭献金運動経過並 陸軍機命名次第報告書」

「一日一銭献金運動経過並 陸軍機命名次第報告書」

 次のページの一部を見ていただきます。右半分は前のページから続いて東区の「連区」が並んでいます。
 当時の名古屋市には北区がありませんでした。右から6番目の「六郷」から「合計」の前の「飯田」までは、現在北区になっています。



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