今月のピースあいち◆来館者アンケートから

                                           
 

 明けましておめでとうございます。 ご来館いただいたみなさん、語り手派遣事業「平和授業・戦争体験を語る」を聞いた生徒さんからのアンケートです。戦争体験を伝えることの大切さ、ピースあいちへの期待を寄せていただいています。今年もピースあいちをよろしくお願いします。

毎回、特別展示を企画いただき、心より感謝申し上げます。戦争を体験した両親が旅立ち、子や孫に戦争の悲惨さと不条理を伝承せねばと再認識しました。いつか、子を同伴して貴館を訪れ、戦争の実態に触れさせたいと考えております。貴重な品々を寄贈された方々、またそれを一つひとつ丁寧に展示、保管されたスタッフの皆様のご貢献に心より敬意を表します。(71歳男性)

戦争に関する様々な資料を見ることができ、過去の戦争では何が起こったのかを知り、そこから平和のためには何ができるのか考えるきっかけになりました。現在、戦争は忘れられていますが、ここではそんな戦争を次代へ伝えていく役割があると感じました。戦争は伝えれば残る、伝えなければ忘れられる。(19歳男性)

戦争の被害だけでなく加害、反戦・抵抗もあってよい内容でした。各地の「平和」資料館でもなかなか加害や抵抗した人々の展示がなく、平和につながりにくいと思っていました。どうして戦争になったのかまで知ることができ、素晴らしいと思いました。(62歳男性)

いつも皆様の頑張りが感じられる展示、頭が下がります。名古屋を訪れた際にはなるべく足を運ぶようにしております。現在も宗教問題などが大変辛いですが、戦前の天皇崇拝はカルト日本に思えて仕方ないです。私は心理を職業としますが、この集団心理、宗教的信念の働きをより深く考えたく思いました。(48歳男性)

展示品の数々にいつもながら、あのような戦争が2度と起こりませんように、平和でありますようにと思わずにはいられません。ピースあいちの存在を少しでも多くの方に知っていただきたく、関係者と見学させていただきました。(85歳男性)

教育大学に通っている学生です。今回、大学で戦争に関する模擬授業をするための資料を見るために来館しました。被害の歴史だけでなく加害の歴史を知る必要があること、愛知県は軍事工場が多く、人口密度が高かったために空襲の対象になったことなど、非常に勉強になりました。大学の授業で今日学んだ多くのことを伝えることができればいいなと思います。(21歳男性)

様々な寄贈品から、戦争を経験していない私たちにも当時のことがより伝わるようになっていてとても勉強になった。(20歳男性)

戦時下の雑誌や軍や皇族の葉書が売られていたなど、驚くことが多かったです。戦争というと遠い日の出来事と思ってしまいますが、このような資料館があることで戦争の悲惨さがわかりました。(20歳女性)

京都宇治のウトロ祈念館を見学に行った際、名古屋のピースあいちを参考にしたとのお話を聞きました。近くなのにピースあいちにうかがう機会がなく反省しました。戦時の新聞紙面が一面戦況のニュースであるのを見て、あらためて当時の状況がどのようなものだったのか、感じることができました。(49歳女性)

2年ぐらい前にまんがで「はだしのげん」を読んだことがありました。そして今日、戦争について実際に体験した人が来て、話をしてくれて、改めて「戦争はこわいなぁ」「日本ではもう戦争はおきてほしくないなぁ」と思いました。これからも戦争についていろいろ知りたいです。(男性)

前までは、他の国(特に北朝鮮・中国・ロシアなど)が攻めてきた時に守るために戦争になるのは仕方ないと思っていたけれど、今日の話で、戦時中の国民(子ども)のつらさを聞いて、やっぱり戦争はよくないかもしれないという考えを持つことができてすごく勉強になった。今日聞いた話は一生覚えていたいと思った。(男性)

戦争は多くの人々がかなしんだり亡くなったりしてしまうので絶対にしてはいけないと感じました。自分の身の回りは平和でも今のウクライナやロシアの戦争によってくるしんでいるウクライナの人がたくさんいるんだなと今日の話を聞いてより実感した。戦争はなぜ始まってしまうのだろうかと感じた。(男性)

戦争についてよく知るきかいがあまりなかったのでお話を聞けてよかったです。戦争は想像していたものよりずっと大変そうで今の生活のありがたさを感じました。今の世界は昔より平和になっていると思いますが、ふとしたことで日本もすぐに平和から遠ざかっていきそうで少しこわいです。できることは少ないかもしれないけれど、自分にできることを少しでもいいから見つけて行動していきたいと思いました。これから戦争が起きないようにと願っています。(女性)

戦争のお話を聞いて、私は涙が出てきました。学童疎開のことは名前は聞いたことがあったが、戦争の空襲がたくさんある所からはなれることができてもっと平和な暮らしを送るのかと思っていたが、それとは反対にもっとかこくでたいへんな生活があることをしった。中学生になったら工場で働き、大人の男性は国のため、天皇のためと言い戦場へ行き、疎開中の小学生達はお腹が空くのでいちょうの実を食べたり、はみがき粉でお腹を満たしているなどの苦しくてまずしい生活を送られていたことにすごくショックを受けました。もし自分が戦争中に生まれていたら、自分も昔の人のように働き、決してぜいたくではない毎日毎日お腹が空いて苦しい生活を送っていたと思うと、絶対に自分では生きていく希望を失うくらいいやになったと思います。小笠原さんが一生懸命話をしてくれて、本当に心が動きました。改めて命の大切さ尊さについて考えようと思いました。(女性)

私の祖父が満州で生まれて、戦争を体験したことがありました。祖父の兄は戦争から帰ってこないままだそうです。そんな祖父の兄の日記がまだ家に残っています。どこにあるかはわかりませんが、絶対さがそうと思います。他にもテレビや広島の原爆資料館へ行ったりと、戦争のことに興味があったので家族で話しています。親せきや家族からも「戦争は何があってもやってはいけないよ」と幼いころから教えられてきました。私もそう思っています。自然災害で人が亡くなるのは仕方のない事かもしれません。しかし、土地のために争って死ぬのは絶対あってはならないと思います。私は将来世界のいろいろな人達へ平和のことについて改めて考え直す運動をしたいです。後世にもずっと戦争の恐ろしさを伝えるために。かと言って私もまだまだ知らないことがたくさんあるのでまだ学んでいきたいと思っています。「同じあやまちは2度とくり返さない」。任せてください。今生きている全員で団結する時がくるかもしれません。絶対くり返しません。生きている間も、私が死んだ後も。私は平和の資料館などをやっている人がすばらしいと思っています。私のように思っているだけではなく、行動できることなど。私も本当に尊敬しています。いつもありがとうございます。戦争は原爆などの爆だんだけでなく、人間自ら爆だんになる「回天」もありますね。私はそんなこと絶対にできません。「元気に征きます」。どんなかくごでこのようなことが言えるのでしょうか。戦争する前に他国との貿易をさかんにしたり、交流することで仲を深めたいです。(女性)