今月のピースあいち◆来館者アンケートから

                                           
 

 夏日が続いたと思ったら、肌寒い日になったり…展示室の空調、換気に戸惑います。戦時下での東南海・三河地震の展示の前で、「立っていられないくらいの揺れは感じたけど、こんな大きな被害があったなんて何も知らなかった」と話される体験者の方々。「自然災害を完全に防ぐことはできなくても被害を減少させることはできます。しかしそのための取り組みは、平和な日常生活においてのみ可能です」の開催の言葉に「ほんとにそうだね」と。

戦争中、天気予報が軍の秘密事項として国民に知らされなくなった!びっくりしました。地震の被害も隠され、救援を求めることもできなかったとのこと。「軍隊は国民を守らない」と聞いたことがありますが、本当にそうなんだと思いました。(55歳女性)

戦時下に大地震があったことは知りませんでした。勉強になりました。展示されている資料のうち、もう少し拡大していただけると読めるのにと思ったものがあります。特に英字紙の報道。日本紙の報道と比べられたらと思いました。Wi-Fiシステムの導入は画期的だと思います。欲をいえば、展示を見ているときに「もう少し詳しく」-例えば英字新聞の拡大写真など-とか「別の閲覧資料は?」と思った時に参照できるととてもうれしいです。(58歳男性)

私は港区に住んでおり、学区の災害対策委員をしており、災害対策の啓蒙に努めております。港区は全地域が埋立地であり、海抜0メートルです。終戦直前に東南海地震や三河地震が発生しておりますが、公開された資料は少なく、住民にインパクトを与える情報を探しています(防災のため)。先般、中日新聞に築地口付近の家が将棋倒しになったという写真が掲載され、当館に参考情報があるかもしれないと来館しました。(75歳男性)

ちょうど閲読中の城山三郎の小説に「東南海地震等」の記述があり、TVのニュースでも見て、興味がわいたので来ました。本や他所で閲覧した写真等もありましたが、この地域に特化したものも多く感動しました。ロシアが軍事侵略をしている今日、身近に戦争の恐ろしさを覚えます。「不戦」の気持ちを新たにしました。(64歳男性)

母が戦時下の地震の話をした時、「たいしょうほうたいびの前の日でね」と言っていたのが耳に残っています。ずっと、「たいしょうほうたいび」って何の日だろうと思っていたのですが、今日、12月8日の真珠湾攻撃の日で、「大詔奉戴日」って書くのだと分かりました。まだ小さかったので地震の記憶はありませんが、地震(余震も)に怯え、空襲に怯える戦時下の様子がよくわかりました。(79歳女性)

今回の「戦時下の地震展」、よく資料を集められたと思います。(67歳男性)

デイサービスに勤めています。回想法を企画していて、参考になればと思い来ました。母も88歳になり、三河地震のこと、空襲のことは聞いていましたが、知るには時間が足らないほど充実した展示です。ボランティアでデイサービスに来ていただいて話してほしい。(62歳女性)

子どもの頃のこわい記憶がよみがえってきました。滋賀県の湖北に住んでいましたが、一度空襲の経験があります。また仕事をしていた時、後輩の顔に傷跡があったので二人だけの時に聞くと、「名古屋空襲の時、母親の背中におんぶしてもらって逃げる時、母親の首元と私の顔の間に火の粉が入りやけどをした」と聞かされました。(81歳男性)

「戦争はくだらない」が第一の感想です。地震や台風などの天災とちがって、人が起こす戦争は予防できる。反戦というよりは「戦争の予防」をしたい。「win-win」「三方よし」の精神が大切だと思います。

勤労動員中の南区の軍需工場で地震に遭いました。私のいた工場では幸い怪我はなく、何もわからず家に帰るように言われました。その後、こんな危険なところに子どもを置いておけないと名古屋からはなれました。その時の地震の様子が今日しっかりわかりました。(89歳女性)