今月のピースあいち◆来館者アンケートから
この時期には珍しく家族連れのご来館が多く、お声をかけると2階プチギャラリーで開催中の「猪高中学校生徒の平和新聞」展をきっかけに来館していただいたとのこと。「1枚の新聞をつくるのにいろいろ調べたりしている姿を見て、戦争や平和について改めて考えました」と、お話聞かせてくださいました。大学のゼミの講座や小学校の平和授業での来館で寄せられたアンケートなどご紹介します。
「戦争の記憶」の貴重な品々の展示を拝見し、「歴史」を伝える資料がこれからもこのような形で保存されていくことを心から願いました。未来の平和を確かなものにするために、歴史を知り伝えていくことが私たちに求められていると思います。「15年戦争から」の展示資料、「パンプキン爆弾」に関する展示資料、心にのこりました。とにかく一人一人の命の尊厳を奪っていく戦争をひきおこす思想を克服していかなければいけないと強く思いました。戦争の歴史(被害の歴史も加害の歴史も)を正しく知る、正しく知らせる、このピースあいちの存在は、今ますます重要になっていると思います。(65歳女性)
娘(中学1年生)の平和新聞を展示していただいて、ありがとうございました。小学1年生の頃より、トワイライトスクールの行事の中で何度か来館しております。学区内にこのような施設があり、娘たちにとっても、平和について考える事のできるとてもいい機会だと思います。訪問するごとに展示される内容に変化もあり、いつ来ても新しい事実があり、たいへん勉強になります。(女性)
猪高中の生徒さんの新聞を読みました。戦争について感じた事、平和への感謝が伝わってきました。(48歳女性)
夏休み、一生懸命作っていた新聞をみなさんに見ていただける機会があってうれしいです。あらためて見ると、我が子ながらよくやったなと思います。戦争について考えるいい機会をいただきありがとうございます。(女性)
孫が作った平和新聞を家族で見に来ました。孫がもう一人のおじいちゃんにインタビューした記事があります。私も知らなかったことが書かれています。おかげで戦争がどこかのことでなく、身近にあった出来事として感じられました。(男性)
加害と被害はつながっていること、侵略を反省し平和を、平和憲法を守っていかなくてはと、あらためて思いました。もっと知り合いに来てもらい知ってもらいたい。(71歳女性)
印象に残った「命の壁」。15年戦争でうしなわれたさまざまな命の写真があり、戦争の悲惨さや戦争の本質とは?という命の根本部分を肌で感じました。中高生の教科書にも載っている有名な「焼き場に立つ少年」だけでなく、日本が加害者の中国民衆の死の写真もあり、命の尊さや平和に対する自身の価値観が動きました。(19歳男性)
大学の授業やゼミで戦争について調べてきました。しかし満州やシベリアの領域にはあまり考えが行きませんでした。今回お話を聞いて、日本がかつて満州で何をしたのか、戦後どうであったのか 興味をもちました。調べるに際しては、今回私の中で印象に残った言葉「日本側だけでなく被害をうけた側から歴史を見る」を思い出し、調べようと思います。(19歳男性)
名古屋に生まれて長く住んでいますが、空襲のひどさなどはほとんど知りませんでした。展示を見て、戦争中の市民生活、体験者の方の文章を拝見して、胸に迫るものがありました。自分も戦時下にいたら、どんな行動がとれるのか…改めて考えるきっかけになりました。長くこのような資料館が続いていってくれることを期待しています!(57歳女性)
私は1940年12月生まれです。空襲にあうことはなくても、警報で防空壕に入って飛行機の爆音におびえた記憶はあります。1942年10月に未熟児で生まれた双子の妹の一人が、終戦5日前に亡くなりました。大腸カタルの悪化(これは栄養不足、食糧不足が原因だったため)。妹は戦争犠牲者であったと思います。家族の中で一番弱いものが2歳10か月で犠牲になったと思います。ピースあいちがたくさんの資料を集められたのに感心して見学させていただきました。(81歳女性)
戦争中から長い時間がたっているのに、当時のものが大切に保管されていた事に驚きました。戦死された方が御家族に宛てて書かれていたお葉書を読み、胸が詰まりました。奪われてしまった命はかえってきません。御家族の無念の思いも伝わってきました。戦争で人として扱われることなく消えていく命がなくなりますように。女学生さんの日記を読んで、いつの時代も若い方のみずみずしい感性は変わらないと思いました。(57歳女性)
祖父が満州に、祖父の弟はルソン島に行っていました。戦争についてちゃんと知りたいと思います。(45歳女性)
戦争が多い時代に自分が生きていると思うとぞっとします。とても残酷な話でしたが、実際に体験した人から聞く戦争終結後の平和な時代を望む気持ちは、実際に体験していない自分でも同じです。(12歳男性)
まだ子どもの自分は争いには関係ないと思っていたけど、自分の歳でも昔は戦争に大きく関わっていることを知りました。これからは戦争で亡くなった人を思いながら生きていきます。これからは、戦いのない平和な世界を私たち子どもが作っていきたいです。(12歳女性)