◆所蔵品から◆資料ナンバー7330 名古屋汎太平洋平和博覧会画報の話
資料班
名古屋汎太平洋平和博覧会画報 表紙
今回は、名古屋市で開催された汎太平洋平和博覧会のパンフレットをご覧いただきます。パンフレットというか34ページの冊子です。
昭和12年、1937年に名古屋港の北で博覧会は行われました。(3月15日から5月31日まで)
名古屋駅、名古屋港、飛行場がそろって完成するので、そのおひろめの意味があったようです。東山動物園も、1937年に開園しています。
名古屋汎太平洋平和博覧会画報
6ページ、7ページの見開きをご覧いただきます。
「躍進名古屋の誇り 文化と平和の饗宴 豪華汎太博開く 太平洋岸三十一ヶ国参加」
「名古屋は熱田神宮、名古屋城、日暹寺を誇り…、」と始まります。日暹寺というのは今の日泰寺です。日泰寺は「日本」と「タイ」、ふたつの国名を取って日泰寺です。昔タイはシャムという国でした。漢字で書くと「暹羅」。なので日泰寺は、創建当時(1904年)は日暹寺、という名前でした。にっせんじと読みます。
名古屋汎太平洋平和博覧会画報より
「文化と平和の饗宴」の、
この博覧会に出てくる「平和」の部分を他のページからも見ていただきます。上でご紹介したページの左上の写真のタワーは「平和の塔」です。別のページの写真を見ると、塔の上部、鳩のデザインの下に「THE NAGOYA PANPACIFIC PEACE EXHIBI(T)IO(N)」
の文字が入っています。
下の写真はポスターです。鯱(しゃち)の上にとまる白い鳩のデザインです。
でもこれは戦争中の博覧会です。ポスターに出てくる船は大砲を積んでいるみたい。飛行機も飛んでいる。
名古屋汎太平洋平和博覧会画報より
国防航空館と40サンチ砲の模型を紹介するページをご覧いただきます。
飛行機の写真は「三菱館」の様子。爆弾を積む飛行機ではなさそうです。
名古屋汎太平洋平和博覧会画報より
「余興三題」のページ。そのうちのひとつが「魚雷発射」。毎日、午前10時と午後3時の2回、「魚形水雷を発射してゐます」。
あとは「花と競ふ名古屋踊り」と、サーカスでしょうか、「ライオンの綱渡り」と「人間プロペラー」の写真です。
名古屋汎太平洋平和博覧会画報より
コンパニオン的な女性たちは「サービス嬢」と呼ばれていたようです。
写真はそれぞれ、
「ずらりと並んだ大阪館のサービス嬢」
「一の宮からサービス芸者」
「京都館祇園茶屋の大原女姿のサービス嬢」と説明がついています。
名古屋汎太平洋平和博覧会画報より
サービス、という言葉はもうひとつの使われ方があって、「サービス乳母車」。乳母車(うばぐるま)というより、今はベビーカーが一般的でしょうか。会場内に、乳母車のレンタルがあって、サービス乳母車と呼ばれていたようです。
詳しい画像はこちらからどうぞ。
http://www.peace-aichi.com/pdf/20180923_hakurankai1937.pdf
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