常設展から 「731部隊による・・人体実験」のガス製造所は忠海(ただのうみ:広島県) 運営委員 吉岡由紀夫
第2展示「戦争の全体像15年戦争」の壁面パネルの一つに、『南京大虐殺 731部隊による細菌兵器の人体実験』があります。文章と写真の説明中に「毒ガス」という文字が3カ所あります。その毒ガスは広島県竹原市忠海(ただのうみ)製造所で造られていました。山陽新幹線三原駅から呉線に乗って三つ目の駅に忠海があります。母校の高等学校の目の前にある大久野島(おおくのしま、南北に細長い周囲4km、忠海駅から港まで約7分、船で約12分)で毒ガスが製造されていました。
「イペリット取り出し作業(戦後処理)『地図から消された島』より」
東京から離れた、大久野島がなぜ製造所になったかについては、忠海が「製造工場の位置は外部に対する秘密保持と発生する排気汚水の関係上なるべく住民地帯と隔絶し・・・」(『日本陸軍火薬史』)の条件を満たす場所として選定されたのでした。最盛期には約5000から6000人が働いていました。私の高校の同級生の親の中には、毒ガスの製造に関わり、毒ガス障害で忠海病院に通院していた方がみえました。ここで造られた毒ガスが、満州の原野の実験場(*平房)で使用されていました。日中戦争でも日本軍の毒ガス作戦に使用したといわれていました。
ところで、毒ガス製造工場であった大久野島は、1931(昭和6)年には国土地理院の地図には存在する が、1938(昭和13)年版に島の姿はありませんでした。地図上に大久野島がよみがえるのは1947(昭和22)年版からです。戦時下の地図は参謀本部が掌握し、要塞地帯や重要地点を消したために、地図は空白になっていました。
大久野島には大久野島毒ガス資料館があります。現在、島全体が国民休暇村となっており、近隣府県から小学校の修学旅行で訪れた子どもたちが宿泊するなど、にぎわっています。広島に行かれる機会があったら是非、大久野島も見学先の一つにされてはどうでしょうか。
* 「関東軍ハルピン憲兵隊本部から送られてくる捕虜の中国人、朝鮮人、ロシア人を〝マルタ〟と呼んで実験材料とし、3000人に及ぶ人びとを細菌や毒ガスの実験台にしていた。使用するガスの種類、ガスの濃度、ガス注入時間、マルタの選別・・731部隊がしつらえた実験条件と項目を、ガス専科部隊である516部隊が冷静にこなしていくのである」(下里正樹談、太字は吉岡記)
参考 武田英子編『地図から消された島 大久野島 毒ガス工場』ドメス出版(2003)