「権利の上に眠るな」市川房枝生誕120年記念特別展に学ぶ ボランティア 林 收
いま、愛知県一宮市尾西歴史民俗資料館で「市川房枝生誕120年記念特別展」が開催されています。市川房枝の出生地愛知県中島郡明地村(後の朝日村→尾西市を経て現在は一宮市明地)に由来するものです。
市川房枝さんはその生い立ちの中で、母に対して暴君として君臨する父を見るにつけ、「なぜ女は我慢しなければならないのか」という疑問と、6人の子供可愛さゆえにじっと我慢する母の姿に「なぜ女に生まれたのが因果なのか」について幼い頭に刻み込んだことが、終生の婦人解放運動の出発点だったといいます。
尋常高等小学校卒業後、14歳で早くもアメリカ行きを志望したものの未成年のため役所の許可を得られず、渡米に代え東京での勉学に向かいます。その後郷里の高等小学校の教員、名古屋新聞(現中日新聞)の記者を経験し、再度上京してからが本格的婦人運動の大きな流れの中に気鋭として突き進むところとなりました。
東京では平塚らいてうと「新婦人協会」を創立し、当時女性には政談集会への参加すら禁止する「治安警察法」第5条第2項*が、婦人の政治活動の前に立ちはだかる第1の障壁だとして、その改正運動を起こし、2年半をかけて実現しました。
アメリカで婦人参政権が実現した1920年の翌年渡米し、ベビーシッターやハウスワークをしながらアメリカ各地の婦人運動、労働運動を見て回る中で、全米婦人党のリーダー、アリス・ポールさんとの出会いがありました。
「女は女の問題に専心すべし。いろいろのことを一時にしてはいけない」とアリス・ポールさんからアドバイスを受けたことが、その後の市川さんの運動に大きな影響を与え、紡績業における女性の深夜労働や炭鉱における女性の坑内労働など「働く女性の労働条件」の問題も大事だが、それを解決するためにも「女性の政治参加」が必要であるとして、以後婦選運動(婦人参政権運動)に専念されました。
私は、市川房枝さんほど子供のころから権利の自覚に燃え、女性の地位向上をめざし、生涯を通して、権利の不平等是正に立ち向かった人はいないことを学びとりました。
「権利の上に眠るな」「出たい人より出したい人を」など、市川房枝さんの至言は今なお生き続けていますが、「政治腐敗が国民を戦争に追いやる」「ストップ・ザ・汚職議員」との信念を押し立て、政治浄化に尽くしたあの情熱を、他の政治家たちも少しは見習ってほしいという思いが今なお絶えません。
市川房枝さんこそ、崇高な信念を貫き通して「理想選挙」を実行した稀有な政治家というべきでしょう。市川房枝さんが東京地方区と全国区合わせて5期当選を果たし、女性の人権問題、女性の地位向上、政治献金の禁止等政治の浄化を目指す場として国政で活躍されたのは参議院でした。
その参議院議員の選挙が今年7月に控えています。今回、重要な争点のひとつとされるのが憲法問題です。与党は国会内に憲法を変える勢力を拡大し、衆参両院で憲法改正発議へ持ち込むことに狙いをつけています。
市川房枝さんたちが死力の限り闘って実現した参政権も、私たちが「権利の上に眠って」その行使と選良(選挙で選ばれた代議士)の監視を怠っていると、国民の多数が望まない方向の憲法ができあがってしまいかねません。「国会発議」が通ってしまったら、憲法改正の是非を問う「国民投票」は最後の砦とはなり得ません。有効投票数の下限規定がないからです。例えば有権者の4分の1に満たない賛成投票で承認されることさえあり得るのです。
没後32年、冨士霊園で眠る市川房枝さんの霊に「あなたの遺志は私たちが受け継ぎます。しっかりお見守りください」と誓うのは、今でしょ! 「市川房枝生誕120年記念特別展」の会期は7月7日までとなっております。余すところ、10日程度ですが、ぜひ時間を作ってお出かけになってください。