常設展から            「模擬原爆パンプキンが名古屋、春日井、豊田に」

                                  ピースあいち研究会 金子 力


  ピースあいちの常設展示でぜひ見てほしいのは、模擬原爆パンプキンのことです。

絵はがき

模擬原爆パンプキン(上)とクレーター(下)

  
 原爆と名古屋の空襲がつながっていたことは20年前にわかったことです。原爆投下部隊は広島と長崎に原爆を投下するとともに、1万ポンド(約4.5トン)の模擬原爆「パンプキン」を49発日本各地に投下していました。そのうち、愛知県には春日井4発、豊田3発、名古屋1発、合計8発でした。これは県別では全国最多になります。


 1945年7月26日午前9時41分、名古屋市昭和区山手通2丁目(八事日赤病院北交差点)に大型爆弾が投下されました。軍需工場も市街地も破壊し尽くされた名古屋に突然投下された4.5トンの大型爆弾。その正体は原爆投下訓練用に開発された模擬原爆でした。「パンプキン」と呼ばれたこの大型爆弾は長崎型原爆ファットマンと同型、同重量でした。違っていたのは核の代わりに通常の火薬が2トン以上入っていました。しかも、投下したB-29は広島にリトルボーイを投下したB-29「エノラ・ゲイ」号であることが米軍の記録で明らかになりました。これまで名古屋空襲と広島の原爆は全く関係が無いとされてきましたが、それを覆すことになりました。

  
 

 「なぜ、名古屋に模擬原爆が投下されたのか」この疑問を解決する米軍の報告書も見つかりました。原爆投下目標都市としては、何度かの検討の結果、広島、小倉、新潟、長崎が決まると、投下部隊はその周辺に訓練飛行することになります。7月26日の目標は「新潟」を意識して隣県の「富山」へ6機のB-29 が出撃しました。ところが、天候が悪く5機が富山への投下をあきらめ、太平洋側の都市(焼津・島田・浜松・名古屋・大阪)に投下しました。そのうちの1機が昭和区山手通2丁目に投下していました。

  
 

 また、終戦前日の8月14日、春日井、豊田への模擬原爆の投下は、原爆投下はすでに終えており、同じ模擬原爆を使いながらも、目的は通常兵器としての可能性を試したものだったことが米軍の記録によって分かっています。終戦直前に原爆投下部隊が名古屋上空に来ていたこと、パンプキンとよばれた大型爆弾を投下していたことはぜひ知っておいてほしいことだと思っています。