戦跡見学会(久々利地下軍需工場・東南海地震追悼記念碑) ボランティア 吉岡 由紀夫
2012年11月11日に、岐阜県可児市久々利にある三菱第4発動機地下軍需工場跡と名古屋市南区豊田にある東南海地震追悼記念碑を14人で見学・献花しました。ガイドは高橋 信(元高校教師)さんです。
久々利地下軍需工場跡(三菱第4発動機地下軍需工場)

全長8キロメートルにも及び、掘削土の量においては『松代地下大本営』(長野県)に勝るとも劣らないほどの大トンネル(注*)を各地から「徴用」されたり、連行された朝鮮人約2,000人が主力となって掘り進められました。工事は1944年12月25日頃から始まったようです。しかし正確な数等はまだ調査中です。
長靴にはきかえ懐中電灯を片手に中に入りました。地下壕はサバ土(凝灰岩層)に埋もれ所々に水がたまっていました。岩肌に刻まれたつるはしの爪痕が残っていました。気をつけながら歩いているとコウモリがあちこちに巣をつくっていました。外に出ると「朝鮮の人々が敗戦をどのような気持ちで迎えたのか」「その後の生活はどうであったのか」日本の戦争責任について考えさせられました。
**『米国戦略爆撃調査団報告書』によると地下壕は合計7,015メートルに及ぶ38本のトンネル、全計画区域は35,280平方メートルで、そのうち25,110平方メートルが完成していた。断面図では、トンネルは幅4.8メートル、高さ3.5メートル。 計画された機械800台の内、164台が地下に据え付けられていた。この工場はエンジンをつくる予定であったが、実際の生産は行われずに敗戦になった。
東南海地震犠牲者追悼記念碑

記念碑は、日清紡名古屋工場が閉鎖されたために2012年6月、被災現場東側に隣接する医療法人名南会・名南ふれあい病院内に移設されました。
1944年12月7日、東南海地震(M8)が東海地方を襲い、軍用機を生産していた三菱名古屋航空機製作所道徳工場に動員されていた労働者と学徒51人に加え、朝鮮半島から強制連行されていた朝鮮女子勤労挺身隊員(14歳~16歳、ピースあいち2階に1945年6月末頃「戦勝祈願」のために熱田神宮に連れていかれた写真が展示してあります。)6人も犠牲になりました。
石碑には『悲しみを繰り返さぬよう ここに真実を刻む』と記されています。碑面は、東南海地震の発生時刻12月7日13時36分の太陽に直面して設置されています。毎年12月7日には遺族、元職場関係者、名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会々員、地元有志などによって追悼式が行われているそうです。