テレビドラマ「おひさま」と愛国イロハカルタ ボランティア 丸山泰子
夏休み特別企画展「戦争と子どもたちのくらし」の展示に参加し、国民学校と「愛国イロハカルタ」について調べる機会を得た。
尋常小学校が国民学校になったのは、1941(昭和16)年4月、そしてその年の12月にアジア・太平洋戦争が始まった。日中(全面)戦争(1937年)が長引き、政府は、国民を戦争に総動員(1938 年)していったが、子どもたちも次代を担う立派な国民(少国民・戦力)とみなされた。「レンセイ デ ノビル セウコクミン(錬成で伸びる少国民)」、カルタの句であるが、国民を育成することではなく、「皇国民錬成」(錬成・・絶対服従のしつけの教育)が国民学校の教育の目的であり、拡大泥沼化する戦争に備えるものであった。
私が、国民学校の教育について調べているとき、偶然にもNHK の連続テレビ小説「おひさま」の主人公(丸山陽子・・・奇しくもわたしと同姓)が師範学校を卒業し、赴任した学校が国民学校であった。赴任早々、奉安殿(天皇・皇后の御真影や勅語謄本が納められている) に戸惑いながら、サイケイレイする姿が映し出された。(「教育勅語」のパネルも、私の担当だった。)
国民学校では、徹底した軍国主義の教育が行われた。「君(天皇) のため国のために命をすてる」ことのできる少国民を育てる教育であった。陽子先生は、一人ひとりの子どもたちに寄り添いたいと思いながらも軍国教材を使って授業をする。テレビでは、当時の教科書(第五期国定教科書)を使って忠実に授業の場面を再現していた。体練の時間には、代用教員と思われる男性教師が、厳しく子どもたちを指導する。しかし、軍国主義満載の教科書ではあったが、戦争末期には、その教科書を使った授業すらできなくなった。陽子先生がそれを嘆く場面があったが、軍事教練や勤労奉仕ばかりになったからである。本当にそんなばかばかしい時代があったのかという感じだったが、たまたま、活字(本)と映像(テレビ)が見事に一致したため、当時の学校教育を実感することができた。
愛国イロハカルタは、1943(昭和18)年12月に、情報局、文部省管轄の「日本少国民文化協会」が発行した。この協会は、児童文化の統制と積極的な戦争協力の推進を目的としていた。すでに、戦局が悪化していた時期である。「撃ちてし止まん」(撃ちつくすまでやめない) と子どもたちに対する軍国教育もエスカレートしていった。そして「次代に日本を担ひ、大東亜の指導者となるべき少国民の気宇(気がまえ)を雄大に、情操を清純にし、その日常生活を指導して忠君愛国の念を涵養するもので永く愛誦するに足るもの」(週報334、参照)という内容のカルタが一般公募された。当時どの程度このカルタが子どもたちに届いたかは分からないが、公募の段階で目的の半分は達成されたと言えるだろう。なぜなら、当協会は、低学年の子どもたちにも分かるようにという条件で公募し、応募総数約26 万句のうち約半数は少国民(子どもたち)からのものであった(歴史地理教育No. 741 参照)。すでに軍国主義の教育をしっかり受けていた子どもたちが、積極的に加担していったことが分かる。教室で教師の指導のもと、子どもたちがカルタの句作りに頭をひねる姿が目に浮かぶようである。
カルタは全部で47句、絵札を見ないと意味が分からない句もある。今回子どもたちに分かる範囲での説明を試みた。ピースあいち3 階での特別展では、実物のカルタを展示するとともに、私が説明を書いたプリントも用意している。ぜひ手にとっていただきたい。いかに、国民学校で子どもたちが忠君愛国をすり込まれ、戦争推進に協力させられていったかが分かる。
ここで、なかなか意味の分からなかった句、2句を紹介したい。
① 「オノノヒビキモイサマシク」・・・絵は、斧と切り株のみ
② 「クワノヒカリハミクニノヒカリ」・・・絵は鍬のみ
斧も鍬も実際子どもたちが使ったとすれば、子どもたちがそれらを手にしている絵が描かれるだろう。① の句については、すでに資源が不足し、子どもたちは、植林の勤労奉仕にかり出されていた時期である。そんな頃に豊かな森林があった?② については、「ひかり」は、当時「天皇」を表す言葉だった。そこで、私は、もう一度、国民学校の教科書について書かれた本を読み返してみた。そして、みつけたのです!
5 年生の国語に「木曽の御料林」。この教材では、「天照大神」を皇室の祖神として祀った伊勢の皇大神宮が、20 年ごとに殿舎を新築するための1 万2000 本の良質の檜「神宮備林」と、それを切り出す神事が子どもたちに教えられていた。
②については、①ほどには、確信はないけれど、4年の国語の教材に、末端の土地にも神が存在することを子どもたちに教える「地鎮祭」があった。地鎮祭で使われる鍬は、木製で光らないけれど、これしかないと思った。
天皇は神であり、日本は神の国、富士山は神の山と教えられた子どもたち。教室に神棚を飾った学校もあったという。もし、他の意味が考えられるとしたら、ぜひ、教えていただきたい。
さて、「おひさま」の敗戦後の教室の風景。一転して、子どもたちは、「先生は、うそつき!先生の言うことは、もう信じない!」などと教師を批判する。子どもたちに、「これまで教えてきたことは間違っていました。」と泣いて謝る陽子先生。そして、「ニッポンは、新しく生まれ変わりました。」と言って子どもたちにそれまで使っていた教科書にスミ塗りをさせる。
もし、あの時代自分が教師だったら、どのような生き方をしただろうかと思う。戦争に反対する人が厳しく弾圧され、一つの方向に流された時代、正に神がかりで狂気に満ちた時代。思い出したくない人も多いと思われる一方で、最も影響を受けたのは、国民学校の純粋な子どもたちだった。「あの時代を再び」と考える人たちの中心になっているのは、国民学校で教育を受けた世代だという。教育の怖さを改めて思う。
そして、3.11後のニッポン、
まるで、かつてのニッポンが再現されているように思うのは、私だけではないだろう。「ほしがりません、勝つまでは」「大政翼賛会」「国家総動員」「学童疎開」「非国民」「大本営発表」「電力戦死の日」等。私が「ピースあいち」に関わるようになって学習したこれらの言葉が再び、現代によみがえってきた。
また、「がんばれ日本!」「がんばれ東北!」。わたしは、これらの言葉を素直に受け入れることができない。国民が、かつてのように一つに束ねられるのではないかと不安になる。そんな時代が二度と来ないようにするため、これからもピースあいちと共に考え、行動していきたいと思う。
参考文献: 入江曜子著「日本が『神の国』だった時代」
山中恒著「子どもたちの太平洋戦争」