カンボジア強制刑務所から無事生還
ー生き残り証人チュム・メイさんが語るー                 斎藤  孝

 「ピースあいち」では、去る11月3日、カンボジア人のチュム・メイさんの話を聴きました。チュムさんは、1970年代後半のポルポト政権下で突然、逮捕されました。強制刑務所で虐待・拷問を受け、苛酷な日々を送ったのち、無事生還された方です。クメール語の通訳は、ワンダー・ジムさん(31歳)で、付き添いの立教大学大学院教授・池住義憲さんも同席され、補足の説明をされました。


 チュムさんは今年79歳。カンボジアの東部の町・ロベイ村に生まれました。8人兄弟で、親は8歳のときに亡くなりました。兄弟が多かったため、親戚の家に貰われ、お手伝いをしながら育ちました。幼い頃から機械いじりが好きな子でした。16歳のときから1年間、僧籍につきましたが、その後プノンペンに出て、自動車の修理工の仕事につきました。
 1975年4月17日、クメール・ルージュ(ポルポト)軍がプノンペンに入ってきました。チュムさんは、ポルポト軍の監視下で、川に渓流してある船のエンジン修理に従事されました。1978年、突然逮捕されトゥール・スレン強制刑務所に入れられました。10月28日のことでした。以来、12日間にわたって手ひどい拷問を受けました。
 小指は折れ、足の骨も折れました。一番酷かったのは、電気ショックです。頭が爆発し、目の前が真っ白になりました。拷問は毎日続き、背中が腫れて横にしか寝ることができなかったといいます。 激しい拷問で左の目と耳はおかしくなり、頭を叩くと変な音がしました。
 あまりの苦痛と恐怖のあまり、「CIAのスパイだった」という嘘の自白をして、尋問調書にサインさせられました。それからというものは、いつ殺されるのかという不安恐怖の日々でした。すると、刑務所内の縫製工場のミシンの修理係に採用され、生き延びることができたということです。
 刑務所に収容されていた人は1万7千人ほどでしたが、ポルポト政権が崩壊したときの生存者はわずか7人でした。チュムさんは、「私が生き延びることができたのは、技術を持っていたからだと思います」と語っていました。
 解放されてからのチュムさんは、再婚して三男三女に恵まれ、いまは二番目の娘さんと同居、トゥール・スレン博物館の「語り部」として活躍しておられます。