ピースあいち「学生の日」に思う  
名城大学教授 当NPO理事   渋井 康弘   

                                           
 
展覧会場の様子1

発案者でファシリテーターを担当した増田さん。わかりやすいお話で、軽快に進行をすすめました。

1)集まった若者たち
 3月16日「学生の日」――この次世代交流チームの企画に若い人たちがどう反応するか。のぞいてみたくてピースあいちに行きました。その場にいたのは、友達に誘われたり、学校で掲示されたチラシに関心を持ったりしてやってきた高校生8人、大学生5人。次世代交流チームの若い4人にリードされて、熱心にロールプレイをする姿を側から見ていて、清々しい気持ちになりました。
 行われたロールプレイは、同盟国が開戦準備に入ったとの想定で、閣僚役の人たちが日本の対応方針を定め、一般国民役の人たちに支持を呼びかける(国民はそこで賛否を問われる)というものです。二つのグループに分かれて議論した結果、双方の内閣が出した方針も、国民の賛否も、それぞれかなり異なるものとなっていました。

展覧会場の様子1

臨戦態勢に入った同盟国とどのように接していくか。
真剣に議論する総理大臣と大臣たち。それを見つめる国民。

2)真剣な議論
 このロールプレイは正しい結論を確定するのが目的ではなく、国がどのようなプロセスを経て戦争に突入するのか(あるいはしないのか)、疑似体験することを目指したものと思います。同盟国の開戦準備という事態に直面してから自国の方針を確定するまでに、議論すべきことは無数にあるのに時間は極めて少ないということ。方針が出されるまでの間、国民はほとんど蚊帳の外におかれてしまうということ。こうしたことが、リアルに体感できる仕掛けになっていました。
 次世代交流チームが丁寧に準備していたので、高校生、大学生たちはすぐに打ち解けて、議論に入っていけたようです。若者たちが頭を悩ませながら、真剣に議論していたのがとても印象的でした。
 高校生、大学生がピースあいちにこれほど集まるようになったのは、次世代交流チームのアイディアと情熱と粘り強さのたまものでしょう。目の前の若者たちを、私は心の中で応援せずにはいられませんでした。

3)甦るかつての光景
 それと同時に私には、45年ほど前の光景が浮かんできました。戦争と平和の問題に取り組み始めた若き私は、その種の集まりに行くたびに年配の平和運動家たちの喜びの声を耳にしました。「若い人が関わってくれるのは嬉しい。」「これからは若い人がやらなければダメだ。」「もう我々の出る幕じゃない。」彼らは一様にそうしたことを言い、私はその度に違和感、あるいは不快感を覚えました。
 若い私たちを歓迎してくれるのは良い。しかし、だからと言って「若い人こそ頑張れ」、「年長者はもう手を引く」はないだろう。そもそもこんなにも戦争の危険を孕んだ社会を作ってきたのは、あなた方自身ではなかったのか。そんな思いが私にはあったのです。こんな世界を私たちに引き継いでおいて、自分はとっとと引退だなんて許さないという、責任追及にも似た思いです。

4)若者への期待と自らの責任
 今、年長者となった私の若者に対する姿勢は、45年前のあの人たちと同じものになっていないだろうか。「若者に期待する」などと言って、自分は逃げ腰になっていないだろうか。「若者頑張れ」と言いながら私自身が身を引こうとしていたら、「学生の日」に来てくれた高校生、大学生も、あの日の私と同様の反発心を抱くことでしょう。我々がしっかりしていなかったからこそ、集団的自衛権や先制攻撃までもが認められるような、戦争を準備しつつあるような日本になってしまったのですから。
 もちろん若い人には期待しますが、私自身も命ある限りは言うべきことを言い、なすべきことをし続けねばと思います。今の社会を作ってきた大人の責任として。