企画展「80年前、父は名古屋を焼き尽くした」に寄せて◆日米資料から名古屋空襲を考える
運営委員  金子 力

                                           




 今年のピースあいち「空襲展」は、これまでできなかった展示になります。昨年、名古屋空襲を行ったB29搭乗員ロバート・B・フレミングが残した「戦闘記録」など公的文書と私信を子息のロバート・ボブ・フレミング氏がピースあいちに持ってみえました。
 これまでもピースあいちでは国会図書館憲政資料室や米国立公文書館所蔵資料などアメリカ側の資料も活用し、地上の体験と上空の意図を明らかにすることに努めてきました。例えば、「名古屋城焼失日は本当に5月14日なのか」という問いかけに、米軍偵察機の2枚の空中写真(4月7日焼失前撮影と6月9日焼失後)を日本地図センターから取り寄せ確認、また、米軍の爆弾投下日時の確認をするために地上の記録と米軍の『作戦任務報告書』を照合してきました。

 今回の記録は一人のB29搭乗員個人が、どこでどんな訓練を受けて正規のB29搭乗員になったのか、搭乗任務時間が記されていました。サイパン島に配属された1944年11月27日から1945年5月16日(日本時間17日) までの32回の記録が含まれていました。これまで搭乗員の戦闘任務について日本で公開されてきたのは、B29パイロットのチェスター・マーシャルとB29搭乗員H・R・バーンの二人でした。この二人は戦後に個人的な記録をもとにアメリカで出版、発表をしています。それらは日本語に翻訳されて出版されています。
 *チェスター・マーシャル『B29日本爆撃30回の実録』2001年
 *H・Rバーン 藤本文昭訳『63年目の攻撃目標』2008年

 展示ではまだ書籍化されていないロバート・B・フレミングの32回の任務に注目、アメリカ軍の対日爆撃の作戦の推移の中でロバート・B・フレミングが実行した任務を分類しました。
第一期:昼間高高度から航空機製造工場への爆弾攻撃、
第二期:夜間低高度から大都市への焼夷弾攻撃、
第三期:夜間低高度から中小都市への焼夷弾攻撃と昼間軍需工場への爆弾攻撃
 ロバート・B・フレミングは第一期から第二期の空襲に参加し、第三期が始まる前に任務終了となりアメリカに帰国していました。
 32回のうち第一期は12回で、目標は東京中島飛行機武蔵製作所、名古屋三菱航空機(大江)、明石川崎航空機明石工場、中島飛行機太田製作所などでした。第二期の市街地への焼夷弾攻撃の目標は名古屋、神戸、東京、川崎など8回ありました。そのうちの名古屋への焼夷弾攻撃は4回でした。5月17日アメリカ軍は名古屋を市街地焼夷弾攻撃目標から他の都市に先んじてはずしています。

 名古屋への焼夷弾攻撃の投下目標はどこだったのか?地上では何が起きていたのか?と過去の話のようですが、最近名古屋で発見される不発弾は「戦争による被害は過去の話ではない」と警告しているようです。

爆撃後にサイパンに戻るB29 (雲海の上)