2025 名古屋空襲展 「80年前、父は名古屋を焼き尽くした―B29の搭乗員の記録から」
運営委員 高橋 よしの
その男は自作の映画をもってやってきた!
バッファロー市(USA)から自作の映画と自分の父の「戦闘証明書」をもってピースあいちに、男性が来ました。2024年5月15日、初めての『名古屋平和の日』の翌日。その男性の父親は名古屋に焼夷弾をおとしたB29の搭乗員だというのです。
今年の空襲展はそこから始まりました。
何のつてもない男性は、まず、名古屋国際センターに問い合わせ、そこからピースあいちを紹介されました。自作の映画を見てほしい、というのが名古屋に来た理由。日本のどこでもいいから上映できないかと。映画のタイトルは“CLINGS AND BURNS(ERASING NAGOYA)”『しがみつき 燃えつづける(名古屋消去)』という衝撃的なもの。53分、日本語字幕なし。
戦闘証明書のコピー
もう一つ彼が持ってきたのは、1945年5月24日に発行された、彼の父(ROBERT B. FLEMING)の「戦闘証明書」。それは1944年11月27日から翌年5月16日まで32回の、フライト攻撃目標と飛行時間の個人の記録。その記録によると名古屋を6回攻撃している。1月14日、3月11・18・24日、5月14・16日。「父親の遺品の写真や米国立公文書館の資料をもとに映画を作った、見てほしい、名古屋の人に。」この強い思いが、彼をバッファローから、名古屋に向かわせていた。
この男性Robert Flemingはビジュアル・アーティスト(ペインティング、版画、ドローイング、映画などを制作)で、ファインアート・版画工房(ミラボ・プレス)の共同設立者。(web:mirabopress.com)
彼が、映画を作ることになった理由についてこう述べている。
『私は、両親が亡くなったとき、数十枚の写真を含む遺品を受け継いだ。戦時中の、爆撃任務中やサイパンで撮影した写真がたくさんあった。これが、戦争における父の役割とは何だったのかを調べるきっかけとなった。
父はB-29爆撃機の航空エンジニアとして日本を32回爆撃した。名古屋は最初の2回の焼夷弾空襲を含めて6回だったと思う。日本以外では、そしてアメリカでも、焼夷弾作戦について知っている人はほとんどいないという事実がある。私は確かに知らなかったし、その影響を探りたかったのです。 私は通常の芸術的プロセス(絵画、版画など)では、私の言いたいことが伝わらないと感じていたので、映画を作ることにしました。』
crew33、後列右から3番目が父(ROBERT B. FLEMING)
映画は架空の法廷を設定しその中で父親が戦争にどうかかわり、今どう考えているのかを尋問していきます。Fleming氏は、父親と弁護士の2役を演じる。そして彼が、映画の中で最も重要としているのは、父がずっと持っていた写真群の中にあった小さな写真。レーダー照射された爆心地が名古屋の街に重なって写っているもの。弁護士の質問は、「なぜその写真を取っておいたのか?罪悪感からなのか、それとも…」と、さらに難しい問へと進んでいく。
この映画の作成には多くの人が協力してくれたという。ジョージ・トールズ(カナダ人作家、脚本を編集)、ハヴォア・サンチェス(インタビューシーンの撮影)、デイヴィッド・ミッチェル(本作の編集)、マリー・ヨーホーなど。しかし、妻は最後まで賛成しなかった。が、完成品を見終わった後、うなずいたという。
今年のピースあいちの空襲展は、Fleming氏が持ち込んだ資料とピースあいちの研究資料を基に空と地上の視点で名古屋空襲をみていきます。3月29日には彼の映画の上映会も。それが可能になったのは、Roso Serge氏(メディア・コーディネーター)と平野智子氏(通訳)お二人のご尽力により日本語字幕がつけられたから。この字幕も映画製作もすべてボランティア。このように、国や言語をこえて理解しあおうという試みとして今年の空襲展を見ていただけるとうれしいです。
“Run Run Nagoya”
最後にこれもぜひ見てほしいというのはFleming氏の絵です。彼は“Run Run Nagoya”という絵を、名古屋の人に見てほしいと寄贈。それは、「名古屋市消失区域図」(2階常設展に展示)を背景に、焼夷弾投下の中逃げ惑う少女と母を描いたもの。何を思ってこの二人は“走る”のか…。その他の作品もお楽しみに。