戦災・空襲を記録する第40回東海交流会参加記
戦時下の小田原地方を記録する会  矢野 慎一

                                           
 

 2024年12月8日、今回で40回目となる「戦災・空襲を記録する東海交流会」がピースあいちで開催されました。コロナ禍で対面での開催が難しい時期もありましたが、ここまで交流会を続けてこられた主催者に、改めて感謝申し上げたいと思います。当日行われた交流会の概要を報告します。今回の特別報告は3本です。

展覧会場の様子1

 まず、椙山女学園大学国際マネジメント学部の水野英雄さんから、「次世代へつなぐ戦争遺構~知多半島ダークツーリズム」として、観光経済学の立場から各地に残る「戦争遺構」を観光資源とすることで、いかに人を集め、お金を回して地域を活性化するのかというプランが報告されました。
 そして水野ゼミの学生が、8月に開かれた『第3回オール知多ピースフェスティバル』(半田市)で、知多半島の「戦争遺構」をほかの観光資源と組み合わせることで、暗い、重苦しいだけではない旅にする「明るいダークツーリズム」を提案したことを紹介されました。また、広島・長崎や沖縄を訪問先とする中学・高校の修学旅行も、「ダークツーリズム」の一種であると指摘されました。
 私も神奈川県の高校教員として、何度も沖縄修学旅行を企画してきましたので、確かに、「戦争遺構」(私は戦争遺跡と定義します)の保存と活用のため、観光資源とすることで多くの人を集めることは大きな意義があると思います。しかし、訪れた人たちがそこで何を感じ取るかこそが大切なのではないでしょうか。やはり修学旅行という教育活動においては、事前の学習や事後の学習が重要です。この問題については、今後も議論を深めていく必要があると感じました。

 

 次に、林信敏さん(熱田空襲遺跡を守る有志の会)の「熱田空襲一般犠牲者平和地蔵尊保存について」です。「平和地蔵尊」とは、1945年6月9日熱田空襲の犠牲者を追悼するため、「愛知時計電機」の敷地に戦後建立された2体の地蔵尊のうちの1体のことです。供養を続けてこられた方たちの高齢化と、地震などによる倒壊の危険性から撤去が提案されました。これに対し、地域で熱田空襲の記憶を継承するために必要不可欠であるとの認識から、保存を求める運動がおこったそうです。
(編集部注:運動の甲斐があり、その後、平和地蔵は保存されることになりました。)

 

 そして、木戸聡さんからの「平和のための舞鶴の戦争展」です。7月に舞鶴市で開催された戦争展で、敦賀空襲の記録活動を行っている木戸さんが、「敦賀空襲と舞鶴空襲を語る特別企画」に参加されたことが報告されました。
 続いて地域からの報告として、「敦賀空襲」「全国空襲連」「瀬戸地下軍需工場跡を保存する会」「岐阜空襲を記録する会」「半田空襲と戦争を記録する会」「戦争遺跡研究会」「大垣空襲を語り継ぐ会」「旧第68連隊跡地他について」がありました。その中から、特に全国空襲被害者連絡協議会(全国空襲連)の岩崎建彌さんからの発言を紹介します。

 岩崎さんは、全国戦災傷害者連絡会(全傷連)の会長だった杉山千佐子さんを長年支えてこられた方ですが、発言の冒頭で、「空襲記録運動は、空襲被害者の補償運動の足を引っ張ってきた。」と述べられました。そして杉山さんが、東京の早乙女勝元さんから補償運動との連携を断られたというお話を紹介されました。これは、空襲記録運動は空襲とは何か伝えるための運動であり、補償を求める政治的な運動とは一線を画すということだと理解できます。
 しかし、杉山さんたち空襲障がい者たちが求めてきた「国家賠償」と「尊厳の回復」という切実な要求に対して、空襲記録運動がどのように対応するべきだったのか、重い課題を突きつけられたと感じました。