第12回寄贈品展から◆オープニングで寄贈者の方からお話を聞く
ボランティア(資料班) 川越 敏行

                                           




 12月3日、第12回寄贈品展が始まりました。当日、11時からオープニングイベントが開かれ、4人の寄贈者と寄贈者への聞き取りを担当したボランティア、合わせて5人の方々に、寄贈品にまつわるエピソードなどを話していただきました。その様子をご紹介します。

1.寄贈者 肥田 光男さん

 肥田 光男さん〔1934(昭和9)年生れ〕は、岐阜県美濃市にある永昌院に集団疎開したことがあります。寄贈品はその時に撮った記念写真の複写です。寄贈のいきさつや疎開生活について、話してくれました。

肥田 光男さん

 昨年、お寺で開催された「疎開かるた」展を見て、展示された〈かるた〉が、お寺に集団疎開した折に作った「いろはかるた」だということを知りました。その〈かるた〉がピースあいちの所蔵と知り、記念写真(複写)を寄贈しました。
 私は絵が好きだったので、「いろはかるた」の絵と字を合わせて7枚くらい描きました。
 その頃は食べ物が乏しく、お腹が空いているので、桑の実や野いちごなど食べれるものは何でも口にしました。「いろはかるた」にもこれを読んでいます。
 「うれしい おやつは おさつのおはぎ」 〈おさつ〉とはさつまいものことで、さつまいもはお米よりたくさん食べることができたのです。
 妹も一緒に疎開していたので、あまり寂しさは感じませんでした。風呂は1週間ぐらいに1回、しらみが湧いて衛生状態は良くありませんでした。名古屋空襲の時は、夜、南の空が赤く見え、火の手が上がっているのが分かりました。
 戦争はだめです。つらいだけ。人が人を殺してはだめです。



2.寄贈者 小山 美千代さん

 小山 美千代さんの父・加藤 ゆきさん〔1925(大正14)年生れ〕は、1944(昭和19)年、19歳で志願して広島県の大竹海兵団に入団、その後、佐伯防備隊に転勤となり、そこで終戦を迎えました。寄贈品は、日章旗寄せ書きをはじめ海軍の腕章、当時の日記や写真などです。小山さんは次のようなエピソードを話してくれました。

小山 美千代さん

 父の88歳のお祝の時、出征時に贈られた日章旗の寄せ書きを自身で額縁に入れ、会場の入り口に飾りました。自身の戦争体験について余り語らなかった父でしたが、自分の生きたあかしを子供や孫に見てもらいたかったのでは、と思います。
 親子どんぶりを作った時、父はいつも、白いごはんとごはんに掛ける具材は別々にしてくれ、と言っていました。ある時、理由を聞くと、軍隊ではゆっくり食べていることはできず、駆け込んで食べなければならず、それを思い出すから、と言いました。



3.寄贈者への聞き取りを担当した、当館のボランティア 杉江 加代子さん

杉江 加代子さん

 寄贈者は滝 義宏さんで、寄贈品は軍装品を入れるこうと色紙です。行李は義宏さんの父・滝 義信さん〔1914(大正3)年生れ〕が所持していたものです。
 義信さんは1936(昭和11)年、陸軍士官学校を卒業後、主に満州(現:中国東北部)で国境警備に当り、現地で結婚もしました。1941年12月、太平洋戦争が始まると、フィリピンに出征、同年12月23日にフィリピンのルソン島で戦死されました。28歳でした。
 義宏さんは翌年に生まれましたが、父に巡り合うことはありませんでした。戦後、義宏さんは父の戦友会に参加したり、ルソン島へ慰霊に行ったりしました。色紙は、寄贈者の祖父が建立した碑に刻まれた文をもとに作成されました。そこからも、義信さんの人生が辿たどれます。



4.寄贈者の姪 大島 さとさん

 寄贈者は武藤 よしひでさん〔1936(昭和11)年生れ〕です。病気で療養中だった武藤さんは昨年、自身の戦争体験を絵に描きました。その絵をピースあいちに寄贈されましたが、本年、10月にお亡くなりになりました。
 寄贈された絵は3枚で、①疎開先のこと、②名古屋空襲のこと、③戦後、進駐軍から食べ物をもらったことが描かれています。

大島 千里さん

①武藤さんは岐阜県の郡上八幡に疎開しました。そこのお城や河原で遊んだ様子を描いています。
②1945年3月の名古屋空襲の折、武藤さんのお母さんが病身の姉をリヤカーに乗せ、当時8歳か9歳くらいの武藤さんを連れて、庄内川の堤まで逃げたことを描いています。
③戦後、進駐軍から食べ物をもらったことを描いていますが、細かいところまで覚えているのに驚きました。弁当箱の中に砂糖や板チョコ、コンビーフなどが入っていたことや、それが入っていた箱を燃やすとコーヒーカップ1杯分のお湯が沸かせた、などと添え書きされています。
 このような戦争があったことを伝えて行くことが大切だと思います。



5.寄贈者 井上 まささん

 井上さんは、蓄音機やSPレコード(1分間に78回転の速度で再生するレコード)の収集、鑑賞などを行う活動をされています。寄贈品は、蓄音機とレコード「勝利の記録」を収録したCDです。寄贈したいきさつについて話してくれました。
 井上さんは、蓄音機の音を皆さんに知ってもらおうと、寄贈した蓄音機で歌手 美空ひばりさんの「りんご追分」をかけてから、話を始めました。

井上 雅紀さん

 昨年8月、レコード「勝利の記録」がピースあいちに寄贈されました。このレコードは1943(昭和18)年に製作されたもので、東條英機の肉声、開戦のニュース放送、戦地の実況録音などが収録されていて、大変興味深く、聴く意味があります。しかし、このレコードはSPレコードのため、聴くためには、再生する蓄音機が必要です。自分の持っている蓄音機を寄贈すれば、レコードを自分達で聴けるようになると考えました。また、レコードの内容を手軽に聴けるようにとの思いから、レコードをCDに録音しました。
 最後に、レコード「勝利の記録」の一部分を蓄音機でかけて、実際に音を聴いてもらいました。



まとめ
 寄贈者のお話から、戦争の本当の姿が見えて来ます。食べ物が乏しい疎開生活、つらい軍隊生活、生まれた自分の顔を見ずに戦死した父、空襲の恐ろしさ・・・
 寄贈者たちは「戦争はだめ、人が人を殺してはだめ」と言っています。この言葉をしっかりと、心に刻みたいと思います。