企画展「戦争の中の子どもたち」「戦争と動物」をみて

ボランティア  木村 靖子





 「のらくろ」に迎えられて、展示室に入りました。「戦争と動物たち」というテーマにひかれながら。

 小さい頃見た「木の下サーカス」が懐かしく思い出されました。ただ、1937(昭和12)年に、防災訓練でライオンの「射殺訓練」が行われたという事実にはショックを受けました。ゆっくり回り「子ども史年表」に行き当たり、それが1931年の満州事変から始まっていることに「あれっ」と思い、見入りました。さらに、そこに至る教育の歴史を見て改めてギョッとしました。

 1890年教育勅語発布、教科書の改悪(天皇制教育推進)、運動会、学芸会などで戦争賛美の劇や防空訓練等が実施され、運動場で子どもたちが防空頭巾を被って校庭に腹這いになっている写真が展示されていました。
 それを見て、教員をやっていた私は、この私が現役の教員としてその時代にタイムスリップして生きているような感覚に襲われました。軍事訓練を私は子どもたちに力を込めてやっているのか?銃を持たせて射撃訓練をさせたり、武道訓練をさせたりしているのか?修学旅行で、伊勢神宮へ引率したりしているのか?等々、頭の中に様々な場面がグルグルと周り、恐ろしくなりました。

 さらに、当時の教員に教育された子どもたち「少国民」たちについても考えさせられました。
 「・・・こういった意味では当時の少国民は戦争の被害者でもありました。一方で、子どもたちは真剣に戦争に関わっていました。出征兵士の見送り、神社での武運長久祈願、兵士への慰問文の作成などさまざまなかたちで、一国民として戦争の遂行に貢献していたのです。」。
 う~ん、と私は胸の奥で唸りました。「少国民」も「一国民として戦争の遂行に貢献していた」。教育されたとはいえ、子どもたちも「戦争の遂行に貢献していた」。う~ん、

 子どもを一人の人間としてとらえ返し、その意志を問い返す。今までそこまで私は踏み込んでいなかった。子どもは、大人から一人の人間として対してもらえたら、きっと嬉しいだろうと思い、できるだけ私はそのように対してきたつもりでしたが・・・。
 「…こういった意味では当時の少国民は、・・・」の一文が、グサリと深く、痛みを伴って私の心臓を突き刺しました。
 企画展の展示は、私に私を振り返らせてくれた至宝の展示です。