トーク『マンガが語る戦争~戦後80年・その先へ』開催
運営委員 吉岡 由紀夫
ピースあいち2024年夏の特別企画『マンガと戦争展』関連イベントとして、7月28日(日)にイトウユウ氏(京都精華大学国際マンガ研究センター特任准教授、2015年京都国際マンガミュージアムで開催された『マンガと戦争展』を担当)の講演会が開催されました。プログラムの第一部は講演、第二部はインタビューと質疑応答で、参加者は60名でした。
以下は、イトウさんの講演とインタビューの要旨です。
◆講演
日本の戦争マンガはたくさんあり、バラエティーに富んでいる。京都国際マンガミュージアムにも約150タイトルの作品がある。場合によっては、平和運動的な流れと正反対の作品すらあるが、「正しい」とか「悪い」ということではなく、まず、色々なタイプの戦争マンガがあることを認識する必要がある。
学生にレポートを書かせると、自分の考えを書くのではなく、「先生が求めているのはこれでしょう」という模範解答的なものが多い。マンガには多様な事象が描かれていることを知ったうえで、自ら考えることを始めてほしい。ぜひ展覧会(企画展)や講演を聞いて考えてほしい。
マンガの歴史からは日本社会を垣間見ることができ、日本の社会文化史がわかる。
1945年~1951年頃までの占領期時代は、規制のため直接的に太平洋戦争を描くことができなかった。そこで、戦後すぐから活躍した手塚治虫などは、未来の宇宙戦争の設定などで反戦を描いた。
少女・少年マンガを分けて特色を見る。
少女マンガでは1912年(大正)以降の少女小説から伝統的に「かわいそう」が大きなテーマであり、それはエンタメとして綿々と続いている。主人公を、被爆者や、米兵と日本女性の間に生まれた「混血児」など、不幸な子として描く。女性向け雑誌のマンガでも、毒ガスやひめゆりの塔など戦争をテーマに、ある種の娯楽として消費している面がある。
一方で50年代の終わりから60年代の少年マンガは、戦記マンガ(戦うことを描く)がブームであった。ミリタリー趣味で兵器がかっこいいものとして登場する。だから、この時代に少年マンガに親しんだ世代は戦時中の兵器に詳しい。1959年から週刊マンガ誌の時代が始まったが、その表紙には、戦時中の1940年代と同じく、兵器が「格好よい」ものとしてカラーで描かれている。宮崎駿を例にとると、戦争反対の立場でありながらも、その作品では兵器についても詳しく表現している。
70年代になると「二度と戦争を起こさせない」という考えが出てくる。かわいそうな女の子を描く流れの上に、平和原則的に対応するものが描かれている。水木しげるや中沢啓治作品のような、戦闘・戦争で苦しむ反戦マンガ(戦記マンガとは違う)がたくさん描かれている。
2000年代以降は、国などを擬人化したキャラクターで表現する手法が、特に日本では特徴的に使われている。
◆インタビュー
―マンガミュージアムの来館者は。
コロナ前は約30万人の来館者があり、うち3割が外国人であった。フランス、中国からの来館が多い。
―「マンガと戦争展」の来館者の反響は。
平和運動をしている人からは、例えば小林よしのりのマンガが目の敵にされるが、議論して考えていくことが大切である。考えることをストップすることは反戦から一番遠い。いい意味でのけんかをするべきである。
―日本でマンガ文化がこれだけ盛んなのは。
理由はたくさんある。戦後、様々な質、種類のマンガ雑誌が多く発刊されたことによるだろう。マンガはメインカルチャー・アートにはなれないが、サブカルチャーとなれる世界。良くも悪くも有象無象の世界である。マンガでしか書けないものがあり参加しやすい。現在はマンガ雑誌がかつてのように作られなくなっているが、ジェンダー差別、年令制限がなくなってきていることは少年・少女マンガとしてはいいことだと思う。
―来年(2025年)の戦後80年企画は。
二つのコンセプトで「マンガと戦争展 part2」を考えている。一つは、女性の作家(おざわゆき、こうの史代、今日マチ子)たちが描いた、非戦闘員、女性の日常生活を通して自分事につながるような作品を取り上げたい。もう一つは、戦後といっているが戦争は終わっていないという視点から考えたい。その最たるものが沖縄で、新里堅進など沖縄のマンガ家の作品を紹介する企画に取り組んでいる。
イトウさんは約2時間、戦後マンガ史、『マンガと戦争展』の取り組みを縦横無尽に話されました。