ピースあいちを訪れて
「夏の残像 ナガサキの八月九日」作者  西岡 由香

                                           
 
展覧会場の様子1

著書にサインしていただきました!

 今回初めてピースあいちを訪れて、市民の皆様の手作りによる、こんなに素晴らしい資料館があることに感動いたしました。理事の下方様に、初代館長である野間先生の「向日葵は永遠に」を頂戴して拝読し、開館までに皆様がどれだけご苦労され、尽力してこられたか、その一端だけでも感じることができました。
 ボランティアの皆様が熱意をこめて案内してくださるお姿は、一階にあったパネルの文章「展示は、戦争を計画・遂行したり、戦争で利益を得る人たちの視点ではなく、戦争で苦しむ人たちの視点に立っています。国籍、民族、宗教などの違いを超え、平和に生きる権利を本来的に有する一人ひとりの人間の立場に立ち、その連帯の輪を広げていくことが、国家や民族間の戦争を克服し、平和な世界をつくる道であると考えるからです」。この言葉の実践そのものだと感じました。
 ひまわりの種のように、かかわっている皆様の思いが種をとばし、たとえば「なごや平和の日」として実を結んでいる。下方様が「目に見えるもの(ピースあいち)がある、ということが大事なんです」とおっしゃっていましたが、確かに、目撃させていただきました。戦争を押しとどめようとする名古屋の皆様のお力を。

展覧会場の様子1

西岡さんのマンガの前で談笑する
右から西岡さん、イトウユウさん、宮原館長

 「マンガと戦争展」もあらためて、「はだしのゲン」をはじめ先生方の描かれた作品を前に、原稿からあふれでるエネルギーのシャワーを浴びた気持ちでした。
 1959年の広島を描いたフランス映画「ヒロシマモナムール」(邦題「24時間の情事」)。主演のエマニュエル・リヴァが広島で撮った写真集「HIROSHIMA1958」の中でインタビューに答えた言葉を思い出しました。「他人が書いた話が自分の血となって体に流れる必要があるのです。
 それは一種の「輸血」。私たちが被爆者や戦争体験者と出会い、生き様を知ることも一種の「輸血」なのかもしれないと思います。「マンガと戦争展」もまた、作者と、見る方とのあいだに「魂や記憶の輸血」が交わされているのかもしれません。こんな貴重な展示に私の作品を加えてくださったこと、あらためて感謝申し上げます。

 いま、広島原爆の被爆者の紙芝居に取り掛かっています。伊藤遊さんが講演の中で「テレビは遺体の映像は流さないけれどマンガはできる」とお話されたことにはっとしました。
 被爆者の方に伺うと、遺体は悲惨な状態で、それをどこまで描くのかいつも「おとしどころ」を見つける作業なのですが、それでも「遺体」を伝えられる媒体としての役割の重要さを再認識した次第です。

 名古屋は約30年ぶりに訪れましたが、大好きな街のひとつになりました。またぜひおじゃまさせていただきたいと思います。