「平和教育」は「平和共育」
渋井 康弘(当NPO理事 名城大学教授)

                                           
 

 「二度と教え子を戦場におくらない」――自らの指導で若者を犠牲にしてしまったという事実を直視し、戦後にこの誓いを胸に教壇に立った教師が数多くいたことを、今どのくらいの教師が知っているのでしょう。私の知るかぎり、そう多くはないような気がします。
 しかし東邦高校では、誓いのバトンが受け継がれてきたようです。前身となる東邦商業学校の生徒たちが軍需工場(三菱発動機)に動員され、1944年12月の空襲で数多くの犠牲者が出たということを、この学校の先生たちは今日に至るまで生徒たちに語り継いできました。それを聞いた生徒たちが、空襲犠牲者を慰霊する日の制定を求めて活動を始めたのが10年前。そして今年、ついにそれが実現しました。名古屋城炎上の日「5月14日」は、60回以上の名古屋空襲による犠牲者を悼み、平和への誓いをあらたにする「なごや平和の日」となりました。

 広島の高校生との交流も、東邦高校の生徒たちの気持ちを動かした要因と聞いています。広島では当たり前のように「平和教育」がなされ、原爆が投下された8月6日には市をあげて慰霊しているのに、名古屋市で名古屋空襲についてほとんど語られていないのは何故?…という素直な疑問が生じたのでしょう。
 「なごや平和の日」制定への道のりを思うとき、「平和教育」を積み重ねることの意義を実感せずにはいられません。私も教育現場の片隅にいる者として、先輩たちが積み上げてきたものを参考にしながら、学生と一緒に、戦争体験者のお話を伺ったり、戦争遺構を訪ねたり、戦没者の手記を読み合わせたりしてきました。その中で感じてきたのは、同じ戦争を経験した人たちでも、皆それぞれの人生を生き、それぞれの体験をし、それぞれの思いを持っていたということ。一つの決められたストーリーですぐに戦争の実像が理解できるわけではなく、一人一人の生きざまを辿り、それらを積み上げていくことでしか、戦争の実像には近づけないのだということです。

展覧会場の様子1

「ウクライナの子どもたちが描いた絵画展」を見る名城大学の学生さんたち

 学生と共に、新たに知り合った人からお話を伺ったり、新たに見つかった手記を読み合わせたりすると、そのたびに新たな事実を発見します。また一歩、戦争の実像に近づけたのかなと実感します。その意味で私は学生と「共に学び」、「共に育ち」、戦争がもたらす人権侵害の一つ一つにおののきながら、その中で懸命に生きようとした命の一つ一つを追いかけてきたのだと思います。
 「平和教育」とは「共に学び」、「共に育つ」ものなので、「平和共育」と書いた方が良いのではないかと私は思っています。共に育つ学びの場で、教師と教え子とが共感しあい、平和な未来への誓いを共有する。そうした学びの場作りに努力してきた先輩方の意志を、私は私のやり方で受け継いでいきたいと思っています。