ピースあいち開館17周年に◆「ピースあいちは永遠に不滅です」
運営委員 河原 忠弘
2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センタービルが崩壊するのをTV放映で観た。直腸がん手術2か月後の病床中であった。復職したがすでに高齢者入りしていて、半人前の生活であった。5年経ち体は回復し、「卒業」免状の授与を期待していたら、「御用」の声がかかった。転移肝がんが見つかったのだ。すぐに手術をうけたが余生は1000日と自分できめ、「環境か平和に」役立つことをしておきたいと考えた。
2007年2月、ピースあいちのボランティアに「合格」し、5月の開館から仲間に入れてもらった。以来6200日、5000日以上余分に生き延びれたことになる。
ピースあいちは、赤字続きで、初代館長の野間美喜子さんは、経理職経験がある私に「何年もつかしら?」と問いかけた。「10年位だろう」と思ったが、そのような返事はせず、「よい企画展をしていけば、世間が支援してくれる」と応じた。この回答は、今も秘かに自慢している「大正解」であった。
また、「カネがないからやめよう」と言うことは、これまで一度も言っていない。皆がイキイキとし、明るく活動しその成果を喜び合っている。毎年、驚異的ともいえる数の企画展やイベントを手作りするボランティアは、他では類例を見ないのではないか。この数年それらに参加する力は私自身にはなく、端から見ていて驚き、賞賛するばかりである。
ボランティア活動とはどんなものか? 金銭的には無報酬だが、自分の考えで働き、その成果を享受して喜ぶという、不思議ともいえる活動だ。何もかもが「商品化」されて「賃労働契約のもとで、統制・命令・忍従」が当然の社会にあっても、別の価値観で動くのがボランティアなのだと思う。
むかし武者小路実篤が「新しき村」運動を開始したが、ピースあいちは「現代版の新しき村」と言えるのではないか。一種のコミュニティ活動で、企業活動の対極にある。これは大切なものだ。
平和への「希望を編み合わせる」はピースあいちが大切にしている理念、ともいえるフレーズだが具体性に欠ける。しかし地域では、東邦高校の生徒たちの活動が「なごや平和の日」制定に結果し、コラボしてきた私たちの活動が、少しは社会を動かすことに貢献できているとの手ごたえを感じ、「市民主義活動」の典型とも思えた。一種の「平和への寄与のカタチ」と言えよう。
Think globally and Act locally ということだ。Act locally を重ねGloballyに展望したい。
ところで「現代」とはどんなものか。私は「人類が危機に直面している時代」としている。核兵器、原発、気候変動、環境汚染、監視情報技術、AIへの依存、富の集中・偏在などを、コントロールする知恵も機構も不完全だ。孫の孫たちに「平和」を届けられるだろうか。
こんな状況下では、ピースあいちは「何年もつかしら?」と問うのではなく「永久の事業」とする覚悟が必要なのだ。
ピースあいちを「永久の事業」とするには何が必要か。勿論、展示資料や、建物などのハードが不可欠だが、ソフト面で肝心なモノは何か。
先ずは「開かれた自由な空気」「異論・批判を進歩のコヤシにする風土」を挙げよう。次に市民目線に立ち地域市民との協働の輪を広げる努力、感謝する・感謝されるような「交流」としたい。そして、愚直に歴史を学び続けるWorkshop of Historyであり続けることである。
そして最後に、これまで得た「成功」に胡坐をかかず、他人頼みや真似ではなく、自らの道を拓くこととしたい。最近100年を超える歴史がある「名門企業」が苦境に立ち、歴史の浅い「田舎生まれの企業」が世界的企業になっていくのをみて、権威に頼って油断し、胡坐をかいたりしてはならぬとも思う。ピースあいちには、熱い思いを抱く100人の知恵者がいる。困難もかならず克服するだろう。
私はもうけものの5000日に加え、さらに1000日「余生」を延ばせるだろうか?
長嶋茂雄氏の詞を拝借する。わが「ピースあいちは、永久に不滅です!」