ピースあいち常設展・展示解説英語版への道 その3
当NPO理事  西形 久司

                                           
 

 3月9日の土曜日、英語版展示解説の第2回交流会(「はじまるよ!ピースあいちの国際交流」)が開かれた。そこで出されたご意見などを踏まえて、今回のプロジェクトの意義を、私なりにまとめてみたい。

展覧会場の様子1

意見交換会の様子

 一つは、展示の英語版解説はピースあいちとして、今回が初めてではないということである。2010年に、ボランティア・グループ「PATH」によって英語版ガイドブック”PEACE AICHI GUIDEBOOK”が作成されている。PATHとはPeace Aichi Translators with Hopeの略称で、愛知県立大学、中京大学、名古屋市立大学、椙山女学園大学の学生によってつくられたグループである。ガイドブック作成に当たっては、ピースあいち理事でもある名古屋市立大学の平田雅己さんが全体のとりまとめをおこない、ほかの大学の先生や、さらにはネイティブの先生たちの協力も得られた。
 英語版ガイドブックは常設展示の英語によるダイジェスト版であるから、今回のプロジェクトのようなパネルの全訳はおこなっていないが、設立までの経緯や展示概要を知るには、小冊子ながらすぐれた案内役である。それに何よりも、装丁やデザインがしゃれていて、誌面のレイアウトや色の使い方もよくくふうされている。ピースあいちの若い担い手たちの、センスの良さが光る逸品である。また、ピースあいちにとって忘れられない恩人である「加藤たづ」さんのメッセージも添えられており、その意味でも全訳プロジェクトを補うものとなっている。

 二つ目に、平田雅己さんも指摘したことであるが、期せずして「ピース」の意味を、こんにち的に問い直すことになったという点である。
 たとえば、戦前の日本の弾圧法規の代表ともいうべき治安維持法は、一般にはThe Peace Preservation Lawと英訳される。言葉通りに受け取れば、「ピース」を維持・保護する法律となり、実態とはまったく正反対の意味になるのである。今回のプロジェクトでは、「ピース」の本来の意味内容を歪めることのないようにpeaceの語の使用を避け、The Public Security Lawという訳語をあてた。
 このように定番の訳語にとらわれず、「ピースあいちオリジナル」にこだわったことについては、このメルマガでもすでに報告している(2024年1月25日発行の第170号「モノリンガルによるバイリンガル・プロジェクト」)。

展覧会場の様子1

 三点目として、プロジェクトチームの代表の水谷さんも挨拶で述べられたことであるが、国際化と英語化はイコールではないということである。たとえば中国語やハングルなどへの翻訳も、今後おのずと視野に入ってくるであろう。
 いずれにせよ英語版展示解説は、ピースあいちの「新しい使い方」に道を開いたように思う。ホームステイの学生を積極的に受け入れている服部美恵子さん(「YOSHI基金」設立者)も述べられたように、外国から訪れた青年たちに、日本の歴史、とくに戦争と平和の歴史を知ってもらうために、ピースあいちは好適の見学先となる。英語版の導入により、そのような留学生にとって、ピースあいちはさらにいっそう身近な存在となるのではないか。その意味でも、今回のプロジェクトは、ピースあいちにとって、国際化に向けての貴重な第一歩である。

 最後に、私自身のことで恐縮であるが、今回のプロジェクトに関わらせていただいて、いちばんの収穫は、まだまだ自分は日本語や日本の歴史を知ってはいないという事実に気づいたことである。気が利いていてなおかつ的確な日本語を、いつでも引っ張り出せるたくさんの引き出しを自分のなかに持っていなければ、実は「気の利いた的確な」英語にはなかなか行き着けない。また日本語が表現している歴史のなかの場面や光景を、自分の頭のなかで鮮明にとらえることができなければ、言語化するにあたって、はなはだ心もとない英語表現に置き換えることしかできないであろう。
 つまり日本の文化について知っていなければ、異文化についても理解は深まらないのである。逆説めいてはいるけれど、これは経験的に真実であると思う。

 ある大学の医学部の先生からこんな話を聞いた。
 ヨーロッパで開かれた学会で、会食の際に外国人の先生から「私たちのレスリングはローマのコロセウムのように、観客は上から見下ろしている。日本の相撲では、観客は下から見上げている。この違いは何によるものか」と問われた。その日本人の先生にとっては考えたこともない問いだったので、答えに詰まってしまった。するとすかさず相手から「あなたは日本のことを知らないのですね」と言われ、とってもみじめな思いをしたという。
 日本のことを知らなければ、国際的な舞台では通用しないというのである。この医学部の先生のエピソードを聞いて、日本史を教えて世過ぎとしている私は、改めて身の引き締まる思いがする。

 ピースあいちにとって次の一歩は何だろうと考える。それは、いろいろな国の人たちと――とりわけかつて戦火を交えたことのある国の人たちと――対話を重ねながら、歴史の和解としてのミュージアムを、ともにつくっていくことではないだろうか。夢のまた夢になるかもしれないけれど。