モノリンガルによるバイリンガル・プロジェクト
◆ピースあいち常設展・展示解説英語版への道 その1
当NPO理事  西形 久司

                                           
 

 地上の対空砲火の激しいbeatに加え、迎撃機がstrikeしてきたがhitしなかった。
 Beatもstrikeもhitも、英和辞典を引くと「撃つ」(「打つ」)と出ている。しかし「撃ったが撃たなかった」では意味が通らない。米軍の日本本土空襲の資料をあさっていると、ときどきこんなことが起こる。
 翻訳とは単に別の言語に置き換えていく作業ではない。英文和訳の場合、原文が伝えようとする光景を、まずは自分の頭の中で再現してみる。そのうえでぴったりフィットする日本語を探すのである。上の「撃つ」の例でいうと、地上からは対空砲火が立て続けに撃ってきた。空中では、向かって来た敵機が攻撃してきたが、命中はしなかった……ということになる。

 モノリンガルの私にとって、英語は後天的に接した言語である。そのような言語を理解するうえで大切なのは、個々の単語のコア(核)なイメージをつかむことである。原文から情報を読み取り、それをもとにイメージを描く。それをさらに別の言語で表現する。つまり言語による情報を、いったんは非言語化し、さらにそれを別の言語へと言語化していくのである。
 私がいつも使う英和辞典は、重要な単語について、そのコアなイメージがピクトグラフで提示されている。まずは視覚的にその単語のイメージを取り込むことができるのである。日本語に訳す場合、コアなイメージをふくらませながら、原文のシチュエーションや前後の文脈からぴったりフィットする日本語を割り出していく。
 すぐれものの英和辞典や『英語多義ネットワーク辞典』(小学館)といったツールの助けを借りながら、上の「撃つ」の事例を解いてみると……beatは連発して打撃を与えるイメージ、これはすぐにわかる。Strikeは強く素早く打つことにポイントがあり、hitやshootは狙って命中させるところに力点が置かれる。野球のストライクやヒット、サッカーのシュートからは、とうていこのあたりのイメージをつかむことはできない。

展覧会場の様子1

「TALK & TALK―ピースあいちの国際化って?」(2023.12.9)で
解説する筆者

 さて。日本語を英語に翻訳するという作業が、今回のバイリンガル・プロジェクトチームに与えられたミッションであった。今回このプロジェクトに携わっていて痛感したのは、英語以上に日本語について、さらには日本の文化や社会の仕組みについて――とくに今回は歴史的事実について――しっかりしたバックグラウンドを持っていないと、まともな英訳はできないということであった。これはけっこう新鮮な発見であった。おそらくは、良き翻訳者は、自国の言語や文化についての良き理解者なのだろうと思う。

 具体的な実例をいくつかあげてみよう。
 いちばんわかりやすいのは、日本特有の歴史上の語の事例である。たとえば、「治安維持法」は英語で表記するとどうなるか? 驚いたのは、戦後占領期にGHQが日本政府に指示した文書ではthe Peace Preservation Lawとなっていることであった(外務省『日本外交文書』占領期第一巻)。治安=peaceととらえているのであるが、悪名高き「治安維持法」が「平和保護法」という正反対の意味の語になっているのである。たしかに辞書でpeaceを引くと「治安」という語義が出てくる。それでも「治安維持法」=「平和保護法」という翻訳は、とうてい受け入れがたい。これに類するケースはほかにも少なからず出てきたので、一般に流布している訳語とは別に、「ピースあいちオリジナル訳語集」を作成する必要性を感じた。
 ちなみに「治安維持法」にはthe Public Security Lawという訳語をあてた。次善の策と言わざるを得ないが、少なくともpeaceという語を避けることができる。簡潔さを求められる訳語に、その語の歴史的本質を解き明かす意味まで盛り込むことは、やはり至難の業である。

 

 「女子挺身隊」も、通例ではthe Women’s Volunteer Corpsとなるが、volunteerという自発性を推測させる語には違和感がある。自らの意志以上に強制力が作用していたはずであるから、学徒勤労動員などと同様にmobilized(=動員された)を用いて、the Women’s Mobilized Corpsとした。
 いわゆる軍隊用語になると、翻訳不能となることもあった。たとえば、現役、予備役、後備役、補充兵役、国民兵役といった「役種」の違いは、とうてい英語では表現しきれない。混み入った軍事用語についてのそれなりの知識が求められる場合は、細部に分け入ることは避けざるを得なかった。

 ここまでで、バイリンガル・プロジェクトの、ようやく外堀を埋めた程度である。AIとの格闘や、日本語文と英語文の特性の違いなど、これからがいよいよ本丸攻めというところであるが、いずれまた機会を改めて。