宮原館長講演「戦争と向き合ってきて/戦争と平和の資料館ピースあいち」in名城大学
渋井 康弘(名城大学経済学部長・当NPO 理事)



                                           
 

平和運動の起業家・宮原大輔
 10月11日(水)18時10分から名城大学天白キャンパスの名城ホールにおいて、ピースあいち館長・宮原大輔氏に「戦争と向き合ってきて/戦争と平和の資料館ピースあいち」と題する約90分のご講演をいただきました。
 この講演会は、名城大学経済学部および経営学部のカリキュラムに設置されている起業講座という科目の一環として行われました。「ピースあいちと起業講座? どういう関係?」と思われる方もいるかもしれません。起業講座は、新たなビジネスやプロジェクトを立ち上げて起業するということの意味を経済学的かつ経営学的に考える科目です。これまで多くの起業家の方々にご登壇いただき、起業の様々な側面を検討してきました。さて、それと「戦争と平和の資料館」はどう関わるのでしょうか。
 実はとても深く関わっています。ピースあいちには、その母体となるNPO法人があります。法人の設立によって戦争と平和のミュージアムのプロジェクトは起業されたわけです。当初からその活動に関わり、そのプロジェクトを今日まで継続させてきた宮原館長はその意味でまさに起業家です。平和運動の起業家として宮原館長のお話をうかがおう。そのような趣旨で企画された講演でした。

展覧会場の様子1

市民の力が結集したピースあいち
 宮原館長はまさにその趣旨をくんだ講演をされました。第二次世界大戦中、名古屋の街に何が起こったのか。「そんなことは自分とは遠い話だ」と思っている学生たちに、名古屋城の炎上、鶴舞公園に積みあがった死体の山、八事日赤交差点付近に投下されたパンプキン爆弾(長崎型原爆の実験用模擬原爆)などについて、その場にいた人たちの証言を引用しながら淡々と、そして心を込めて語りました。学生たちにとっては、耳慣れた地名や建物の話が空襲と繋がることで、それらが確かに自分たちのいる名古屋で起こったことなのだと実感できたはずです(同じことが今、ウクライナやガザで繰り返されていると、一人でも多くの学生が思いを馳せてくれると良いのですが)。
 さらに宮原館長は、「我々の住む地域に起こった事実を記憶にとどめ、二度と繰り返さないようにしよう」という人々の思いが、多くの人の寄付やボランティア活動となって資料館設立へとつながったことを説明されました。
 あくまでも控えめにとつとつと語る宮原館長は、アグレッシブに行動するステレオタイプの起業家イメージとはかけ離れていました。もしかしたら学生は、宮原館長の様子にいわゆる起業家イメージを重ねることができず、戸惑ったかも知れません。それだけでも、この講演には大いに価値がありました。学生たちの「起業」に関する先入観が、いかに偏ったものであるかを知らしめる良い機会であったと思います。意味のある事業を立ち上げ、続けている人たちは、決して派手な振る舞いをする人たちばかりではないということが、よく分かったはずです。

ピースあいちを持続させているもの
 新たなビジネスを起業しても、そのうちの9割は10年もたてばなくなってしまうと言われています。しかしピースあいちは15年以上続いています。何故でしょう。
 私の知る限り、リーダーが組織のメンバーから信頼されなくなると事業は続かなくなります。またメンバーがリーダーにぶら下がり、指示を待っているようだと、その組織は次第に衰退していきます。
 ピースあいちのメンバーはほとんどがボランティアで、自発的意思によって行動しています。メンバーがリーダーを信頼し、自らの自発的行動によってリーダーを支えている――ピースあいちは当初からそのような組織であったし、今もそうだし、きっとこれからも・・・。私は今後もずっと、そうであってほしいと思っています。それがこの組織を持続可能なものにしているのですから。