第11回寄贈品展 「戦争が遺したモノたち」に寄せて◆西尾自得さんの備忘録
ボランティア 安藤 正幸
第11回寄贈品展が12月5日から始まります。34名の方々から寄贈いただいた263点が展示されます。それらの中から西尾自得さんが書き残した備忘録をたどり、その寄贈品を紹介したいと思います。
戦艦日向
西尾さんは1936(昭和11)年1月10日20歳で呉海兵団に入団し、1945年11月までの10年に及ぶ海軍生活を過ごされました。乗艦した艦船は順に戦艦「日向」、上海海軍特別陸戦隊(乗艦安宅)、第九号駆潜艇、第八十六号驅潜特務艇です。乗艦していた「日向」をはじめ、軍艦の写真など13枚に及ぶ写真が大切に保存されていました。
この中に最新航空母艦龍驤と潜水母艦大鯨があります。戦艦「日向」では、毎日、「日向新聞」が発行されていました。西尾さんは、300日を超える枚数を丁寧に綴じて保存していました。乗艦していた1937年に日中戦争が始まったので、それらの記事も記載されており、艦内でどのように知らされたのか、また停泊地などもわかる貴重な資料です。
また学習書・参考書などは入団時及び日向艦内で支給されたものと思われ、学習できる環境にあったようです。
さらにピースあいち・メールマガジン第167号で紹介された、マッチ箱のラベルのアルバムがあります。呉地区のものが多いのと、各地に散らばっていること、昭和12年の記載があるものなどから、呉海兵団入団から日向に乗艦していた時に収集したものと思われます。
1938年11月には戦艦日向から上海海軍特別陸戦隊に入隊、通信隊員となります。日中戦争開始の翌年で、まだ大変な時期だったと思いますが、実状を知ることができる資料はありません。当時の資料としては、大上海新地図と映画館上映予告チラシの綴りがあります。
映画館予告チラシ綴り
映画のチラシは、1939年から40年にかけて上海共同租界で封切られていた約200枚にも及ぶ映画チラシのコレクションです。戦争中とは思えない上海の賑わいがあったようで、驚きです。1940年10月には上海海軍特別陸戦隊から海軍佐伯防備隊に異動し、第九号駆潜艇に3年間乗艦しましたが、幸運にも一度も被弾しませんでした。
特記事項として、1942年5月25日シンガポールからの哨戒任務で工作艦朝日(日露戦争で戦死し、軍神と称えられた広瀬中佐が乗艦していた艦)を護衛中、米潜の魚雷を受け朝日は沈没しました。この時九号駆潜艇が朝日の約350人を救助した様子を、西尾さんは備忘録に書き留めています。1944年には八十六号特別駆潜艇に乗艦、日本海、朝鮮半島周辺の警備にあたり朝鮮半島南西部の木浦港で終戦を迎えました。
西尾さんの資料からは戦争の悲惨さ等は感じられませんが、海軍特別陸戦隊で激戦を経験しているはずで、思い出したくなかったから戦争について書かなかったのではと想像します。備忘録に「昭和十九年十二月二九日弟中支ニテ戦死」と一行書き留めていることに、西尾さんの無念さを思いました。