集団疎開「いろはかるた」と出合って◆平和学習展を開催
永昌院住職  高橋 定佑






 

 昨年2月、私は隣市の図書館で、永昌院に疎開されていた子どもたちが残した、手作りのかるたと出会いました。手書きで彩色が施された何組もの絵札と読み札からは、親元を離れた寂しさや、戦時下の不安な心情を感じ取ることができ、彼らと同世代の子どもを持つ親として、心を大きく揺さぶられるものでした。  戦争を知らない世代が増えている今、その凄惨(せいさん)さを少しでも感じてもらいたい、またロシアのウクライナ侵攻が始まったこともあり、当寺でこのかるたを展示することで、より身近に戦争について感じ、平和を考えることにつなげたい、という想いから、ピースあいちからかるたを含む約30点の資料をお借りして、終戦記念日のある8月に平和学習展として開催させていただきました。

 

 「岐阜縣美濃町安毛集団疎開記念 生活いろはかるた」は、永昌院に(昭和19年8月から翌20年11月まで)疎開した名古屋市中川区の露橋小学校(当時の露橋国民学校)の5年生が、終戦の帰郷を待つ中で製作しています。
 当寺は、美濃和紙の産地として知られる岐阜県美濃市、町からは少し離れた安毛(あたげ)地区の山の上にありますが、かるたには、美濃の人なら一度は訪れたことのある場所がいくつも登場し、豊かな自然の風景が記された札が多くあります。
 一方で、児童たちの戦意高揚や錬成を目的とした疎開中の活動の様子や苦しい食料事情も垣間見ることができます。家族と離れ毎日を過ごした彼らが、赤く染まった名古屋の夜空をどんな気持ちで見ていたのか。その不安や寂しさを想像すると胸が苦しくなります。

 展示期間中には、親子連れや戦時下を美濃の町で過ごした方など多くのご来場いただくことができました。また、当時実際に疎開されていた肥田光男さん(89)もお越しくださり、当時の衛生状態やお寺の寮での日々の暮らしや食べ物が十分でなかったことなど、実際に体験した方の言葉としてさまざまなお話を伺うことができました。
 永昌院には、疎開された児童の皆さんが寄贈くださった柱時計が残っています。戦争に関わる話は厳しいものが多いですが、私たちの今の平和な暮らし環境は、決して当たり前のものではなく、過去の経験の上につながっています。今後も、さまざまな行事を勤める中で戦争と平和の記憶を伝え、多くの方々とともに平和であることについて考え、問い続けることを大切にしたいと思います。
 最後に、この平和学習展の開催実現にあたり、ご協力いただいた「ピースあいち」の加藤様をはじめ、戦争と平和の記憶を伝える活動に取り組んでおられる関係の皆様に、心から敬意を表するとともに、深く感謝申し上げます。