「私たちの願いは一つ、平和です」◆ピースあいち訪問記
昭和区九条の会 藤原 辰志
広島市の平和教材から漫画「はだしのゲン」が削除されました。原爆資料館(現:広島平和記念資料館)から被爆時の惨い実態を再現した人形(被爆人形)も撤去されてしまいました。
広島の夏空で原子爆弾が炸裂した忌まわしい日の惨禍を後世に伝え、平和を希求した「はだしのゲン」の作者中沢啓治や1955年に原爆資料館をつくった賢者たちの怨嗟の声が聞こえるようです。
しかし、こうした「戦争を風化」させる動きは広島市に限ったことではないのです。2020年7月NHKクローズアップ現代は「資料館が…慰霊碑が…”歴史”が消えていく」を放送し、戦争資料館の閉鎖や戦争遺品の保存が行き詰っていることを伝えています。そして2001年に東京都が開館を進めていた「平和祈念館」が「あまりにも偏った歴史観」「自虐史観に立った展示」など一部の都議の意見により、建設計画が凍結されていた実態も伝えています。
戦争責任から目をそらし、戦争を風化させる動きは、戦争をする国へと変貌させようとする勢力の意図的な世論誘導であるのではないかと考えるのは私だけでしょうか?
岸田内閣はロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮のミサイル発射実験を口実に戦争機運を煽り、石垣島に自衛隊のPAC3を配備したり、武器輸出三原則(1976年)に違反する「防衛装備移転三原則」の要件緩和を進め、武器輸出を容認し、戦闘機の輸出解禁に動き出そうとしています。まさに「新しい戦前」であり、「戦争前夜」を想起させる動きが今急速に膨れ上がろうとしているのです。新見南吉の言う「ミニタリズム」が再び蠢動(しゅんどう)しているかのようです。
オッと、前置きが長くなりました。私たち昭和区九条の会のことを少し紹介させてください。昭和区九条の会は、2005年に会を設立し、現在約500名の会員が平和を求める運動と学習に取り組んでいます。主な活動として「平和のつどい」、「平和美術展」、「ともしびウォーク」、「平和行進」、「改憲NO!の街頭宣伝」、「平和って大切学校」、「戦跡めぐり」等取り組んでいます。
ピースあいちを訪問するのも今回の企画展「新美南吉の生きた時代 文学と戦争と平和」で四度目です。
最初に訪れたのは2019年4月に熱田空襲の企画展でした。「愛知時計が狙われたのは、そこで戦闘機を作っていたからだということがよくわかりました。」「学徒動員で生徒を失った東邦高校が今も続けている慰霊の取り組みを知ることができました。」と感想が寄せられています。ピースあいちで展示されていた東邦高校美術専攻科の「熱田空襲の体験者の話を聞いたのちに制作した平和の作品」を学校の許可を得て、5月に開催した第13回昭和区平和美術展に展示させていただきました。
第二回目が2020年8月の模擬原爆パンプキンの企画展でした。模擬原爆が現在の八事日赤病院あたりに投下されたことを学び、後日8名で八事日赤から高射砲が設置されていた南山大学方面に戦跡をめぐってきました。「住んでいる身近な所でこんなことが。戦争は最悪の人権侵害、人権の視点で歴史をたどることが大事だな」「最初に模擬原爆のことを調べた春日井の人たちすごい!私たちもここでこの町の戦跡を調べて、伝えたい。」と語り合いました。
第三回目が2022年11月の企画展「戦争の中の子どもたち・戦争と動物たち」です。戦争は子どもの人権も夢さえも奪い、大切な小動物までも奪い去っていった事実に触れ、胸が締め付けられるようでした。アングルを変えて戦争を見る機会にもなりました。
そして今回の企画展「新美南吉の生きた時代 文学と戦争と平和」も童話作家の視点から戦争を見つめる機会を得ました。
ピースあいちは、人間の尊厳を守り育てようとする多くの個人や団体を励ましつづけ、平和の旗をかざし続ける希望です。
私たちひとり一人が新美南吉の平和のラッパを吹き鳴らし、多くの人と共に尊い生命と権利を守り抜く社会を創り上げていきたいものです。
私たちの願いは一つ、平和です。