新美南吉と戦争の思い出◆夏の特別展「新美南吉」展によせて
ボランティア 小野田 孝子
1967(昭和42)年のこと、新聞に半田の混声合唱団(四声会)で戦争体験の当事者の役に、小学校5、6年生の女の子を募集しているとの記事を目にしました。
私たちは夫婦共に、1945年3月10日の東京大空襲と疎開先の岡崎での7月19日深夜の空襲と、2度の戦災に遭っていました。是非、娘に参加させたいと応募しました。
半田の洋裁学校の経営者のご子息が団長として合唱を指導してくださることになり、娘も合唱団男女約30名の一員として、名古屋から半田まで一年半ぐらい夕方過ぎの練習に通いました。
発表は1969年、半田は生憎の台風で朝から強風が吹いていましたが、半田公民館でCBCのアナウンサーの司会で、第一回「レクエイム」という題名で公演が行われました。
二部構成で、第一部が新美南吉の詩集から「貝殻」「冬の最後の日暮れに」はじめいくつかの組曲でした。第二部はその前年にダークダックスが東京で「眠れ幼き魂(こころ)」レクイエムとして発表した作品を団長が半田空襲と重ねてアレンジしたもので、女の子が人形を抱きしめて「お母さん、お母さん」と泣き叫びながら空襲の爆音の中で焼け死んでしまうというお話でした。
悪天候の中の公演でしたが、公民館は満員の人々の拍手でいっぱいでした。娘は花束や記念のオルゴールをいただきました。公演は半田市や名古屋市の県民文化センターでも行われ、いずれも大好評でした。
娘にはたいへん重い負担だったようですが、南吉の作品には、澄んだ目で戦争を見つめ、平和への万感の思いが込められていることを実感でき、とても思い出深いものとなりました。