ピースあいち訪問記◆語り継ぎ手ボランティア岡田さんとの出会いから
横浜在住・小児科医師 高増 哲也
きっかけは、岡田彩花さんの中日新聞(2021年11月17日)の記事でした。語り継ぎ手ボランティアとして活躍する大学生、岡田さんについてのこの記事を知人が紹介していて、大切かつ困難なテーマに取り組む若者がいることに心強さを感じました。
私は広島の被爆二世であり、現在は横浜で小児科医師として病院に勤務しています。
当時の広島では、小学校で原爆のことをたくさん聞かされたものでした。また私の祖父は、ろうの日本画家、高増径草(本名:啓蔵)で、広島県立ろう学校の教員をしていたため、生徒を連れて疎開していました。そのため直接の被爆を免れ、後に私の父とともに入市被爆し、多くのスケッチを残しています。
それらは現在、広島平和記念資料館に保存されています。私は祖父から当時の絵を見せてもらったり話を聞いたりしていて、原爆の悲惨さや平和の尊さを考える機会がたくさんあったのだと思います。ところが他の地域ではそのような機会はめったになく、また今は広島でも機会がずいぶん少なくなったと聞いています。
岡田彩花さんとはSNS上でのやり取りはあったものの、直接お会いしていませんでした。先月、横浜にいらっしゃる機会があり、会いませんか、と連絡がありました。お会いしたことのない学生さんから、会いませんかと声をかけられる経験はこれまでになく、熱意に圧倒されながらお会いすることになりました。
そこで戦争や震災の被害について、関心を持って取り組んでいらっしゃることについて、お聞きする機会を得ました。ちょうど近々名古屋を訪れる予定があることをお伝えすると、ぜひ「ピースあいち」を案内したい、と申し出てくださり、今回の訪問が実現したのです。
ピースあいちの成り立ちをお聞きし、皆様の並々ならぬ思いにふれました。数多くの資料を拝見し、実際におきたことを語り継ぐことの大切さを痛感しました。そして、これらの貴重な資料が有効活用されるために、さらに教育の場や報道の場で取り上げられるように、自分に何ができるだろうかと思いました。
また、広島平和記念資料館や、有志により運営されている八王子平和・原爆資料館などとのネットワークを構築できたらいいのではないかとも考えました。
平和は遠大なテーマで、思想信条や政治がからむ難しい課題と考えられがちですが、その意味していることを考えていくと、私たち一人一人がお互いの命や健康を大切にして、日々の暮らしを大切にする、そんな当たり前のこととつながっているのだと気づかされます。
貴重な機会をいただいたことを大切に、これからも自分にできることを考えていきたいです。宮原大輔館長をはじめ、スタッフの皆様方、本当にどうもありがとうございました。