企画展「地図と写真で見る名古屋と戦争」によせて◆私達の街も爆弾で破壊された
ボランティア  浅井 和子






 3月7日からピースあいちで開催されている企画展「地図と写真で見る名古屋と戦争」の展示室の一角に、戦後、GHQの文民スタッフとして日本に滞在したモージャーさんの写真が展示されています。

 尾張名古屋の城下町だった名古屋は、本町通を中心として栄えてきました。モージャーさんの写真を初めて見た時、彼はどんな道を歩いて写真を撮ったんだろうと想像しました。
 白川公園から真っ直ぐ護国神社の前を通る本町通りを車で走っていくと、名古屋城の前の道路沿いの被爆した塀に突き当たります。本町通り界隈の写真を並べてみることにしました。本町通り界隈を中心に、戦後の名古屋に想いを馳せて見ました。

 名古屋城の門扉に写るモージャーさん。そこから続く道は、まっすぐ白川公園に突き当たる道です。かつて、アメリカ村があった所です。
 本町通と広小路通りが交わる所にGHQは司令部を置きました。名古屋は中部地方で唯一進駐軍に占領された街でした。戦後の復興を牽引した名古屋には、戦後生まれの私達の記憶にも残る風景があるかもしれません。

 最近のことですが、戦前生まれの母が厚木基地の近くの三角屋根の住宅を見て、「アメリカ村だ」と言っていました。大須に住んでいた夫はアメリカ村の辺は立ち入り禁止で大回りしていたとのことです。今でもコカ・コーラは大好きです。
 アメリカ村は1958(昭和33)年、米軍より返還。地元地権者に返され、南半分は現在の白川公園として整備されたそうです。私たちの生活の中にも占領下の戦後があると気づかされます。