「ピースあいち」をゼミ学生と訪れて
名古屋学院大学国際文化学部 佐竹 眞明
初めてピースあいちを学生と一緒に訪れたのは2015年、集団的自衛権の悪法が通ってしまった年のことだ。それから7年経って、ウクライナへロシアが侵略した年に再び訪れた。戦争は私が関心を持ってきたフィリピンにも筆舌に尽くしがたい歴史をもたらした。先の大戦では日本の侵略に端を発し、110万人を超える民が死亡した。すでに亡くなった私の両親も満州での兵役、東京大空襲の形でつらい思いをした。今のウクライナでも戦争被害者が出続けている。
学校教育の場で、残り少なくなってきた生存者の声を聴かせてもらいたい。その思いで10月26日ピースあいちを訪れた。訪問した7人から3人の感想を送る。
M.S(3年)
ピースあいちで、お話を聞いてから戦争に対する見方が変わりました。以前までは、日本が海外から受けた戦争の被害を聞くことが多かったので、被害者立場寄りの考えに偏っていました。森下さんの空襲の体験談を聞いていた際にも、「空襲や原爆で亡くなった日本人が可哀想」という考えが、頭をよぎるばかりです。ですが、2階の常設展示でのお話で、日本が他国にした残虐な行為や現在のロシアのように昔の日本は、国際法に違反するような独裁国家であったことを聞いて、被害者意識寄りの考えが間違っていることがわかりました。
現在でも、南京大虐殺や慰安婦問題などの日本が引き起こした戦災をめぐって外交関係に距離があることがあります。日本の報道では、自国の悪行を強調せずに、被害者意識を助長するような表現を使っているように感じます。また、被害国に対して賠償金を払っただけで、その後の謝罪は、毎年行われていません。これらの行動は戦争を無くさない理由の1つだと思います。戦争を行っている国は、どちらの国でも命が奪われます。首相や政治家などの権力者は、被害者立場ばかりで加害者の問題を積極的に解決しようとみられません。
私ができることは、日本が危害を加えた事実を知ることだと思います。まだまだ歴史の知らないことばかりですが、このような考えを変化するきっかけができたのでこの機会に調べてみます。
S.K(4年)
今日ピースあいちに行き一番印象に残っているのは、戦争体験者の方の「クリスマスツリーや花火を見ると街に降り注いだ焼夷弾を思い出す。防空壕から見上げたB29は銀色が光っていてキレイだった。」とおっしゃっていた言葉です。この言葉が戦争の経験を生々しく物語っているように感じます。子どもの頃に経験した戦争でついた大きなショックが、季節の楽しいイベントで思い出されるのはとてもつらいことだと思います。爆撃を目の前で見ることの恐ろしさは計り知れないものだと思います。実際に経験した方の言葉を初めて聞いたので、ショックな話ではありましたが聞くことができてよかったです。
2階の展示では戦争に巻き込まれた民間人の死体の写真を見て衝撃を受けました。ウクライナのニュースをテレビで度々目にしますが、負傷者や死者の映像にはすべてモザイクがかかっています。初めて戦争によって亡くなった死体の山を見て、「ひとりひとりに家族や友達がいる人間」だと思うと、戦争の怖さを実感しました。また、ガイドの方の話から、日本は第二次世界大戦でとても大きな被害を受けましたが、日本も朝鮮や中国などに攻め入りたくさんの人を殺害したことは変わらない事実なので、第二次世界大戦以前の日本の間違いにも目を向け考える必要があると思いました。今でも続く韓国や北朝鮮、中国の反日に対する政策や謝罪があればいいと思いました。
ピースあいちへの訪問を経て、歴史の教科書で習う戦争とは全く違う本物の授業を受けることができたと思います。戦争の惨事を実際に見聞きすることは、とても良い経験になりました。
M.K(4年)
先日は貴重な機会をいただきありがとうございました。戦争の悲惨さを改めて学ぶことができ、平和ボケをしている私にとって考え直すきっかけになりました。日本人が直接関わる戦争が起きてから80年近く経ちますし、現在のロシアとウクライナの戦争も日本とは遠く離れたところで起こっているため、正直戦争をイメージすることができません。ニュースで流れる映像が映画のように感じてしまいます。それくらい平和が当たり前で、信じられないのです。しかし「名古屋」という自分が住む街に絞って現在との比較を踏まえて考えると非常にわかりやすく、当時の状況を想像しやすかったです。また体験者の方がその時どう思ったかという感情をこと細やかに話していただいたおかげでリアルが伝わってきました。特にB29に対して「綺麗だ」と感じられたことは興味深く、戦争中であり、敵の飛行機でありながらも、それ以前に当時は男の子であり、そんな感情が出てしまったのかなと感じました。また私たちが普段楽しく見ている野球や打ち上げ花火に対してもトラウマを覚えているということに、戦争で負った心の傷は一生治らないのかと、その後遺症の辛さを思い知りました。
そして最も考えさせられたのは、日本は加害者でもあるという点です。私は日本人として加害者意識が薄かったと感じました。中国や韓国を中心に度々起こる反日運動に対し、ただただ嫌悪感を抱いていました。昔のことをいつまで蒸し返すのか、逆に日本が発展に貢献したのだから感謝するべきだ、とまで考えていました。しかし中国での大虐殺をはじめ、数々の侵略戦争を行った事実を知り、反日運動が起こるのは当然だと思いました。
そもそもなぜ加害者としての意識が薄かったのかというと、中高の教科書では日本の国連脱退から終戦まで、どちらかというと被害者的な立場として書かれていたからです。しかし当時の日本が現在のロシアに似た状況だったと考えると、完全に悪者は日本だと思いました。日本としては、列強の真似事をしただけだと言いたいのだと思いますが、軍縮に向かっていた状況の中で、大虐殺を行い侵略をしていったのはイメージが最悪だと思いました。
また、ドイツとの戦後の比較では、ドイツが被害国に対して丁寧な謝罪を行っているのに比べ、日本は表面上だけであることを知り、中国や韓国の反日感情の原因がわかったような気がします。
戦争を体験した方々が徐々にいなくなる中で、私たちはその方々から直接お話を聞ける最後の世代だと思います。私たちは、後世になるべくリアリティーを伝えていく必要があると思いました。