第10回寄贈品展「つなげていこう 平和への願い」によせて
運営委員 安藤 正幸
第10回を迎える寄贈品展が12月6日(火)から始まります。昨年の8月から今年の6月までに寄贈いただいた26名の方々の資料367点を展示します。最近の資料の傾向としては書籍、写真・アルバム、紙資料等が多く、物の資料が減少傾向にあると感じます。
今回の寄贈品には兵士として出征された方の資料が多かったので、その一部を紹介します。
南方戦線に出征されたのは6人で、そのうちの3人が亡くなられています。沢田福松さん(当時23歳)はパラオ南南東の海上で1942年11月戦死されています。
この時、ガダルカナルでは壮絶な戦いと飢餓が進行しています。1942年末ガダルカナル撤退が決まりますが、撤退が終わるのは翌年2月で、その間も多くの戦死者と餓死・傷病者を出し、出兵者約3万人のうち撤退できたのは約1万名とされています。その中を田内一夫さん(当時23歳)は奇跡的に生還されました。
ガダルカナル戦についてはメディアでも多く取り上げられ、また体験談も多く出されています。どんな事実があったか、日本国民は知っておくべきだと思います。
1944年10月23日には山田吉男さん(当時20歳)が乗艦していた「青葉」がフィリピンマニラ湾で雷撃を受け大破、山田さんは手記(右写真)に書かれているように、火傷や骨折など大怪我をします。幸いにもその後マニラの病院で手当てを受け、病院船で帰国できました。
この2日後の25日、レイテ沖海戦で、中西千晶さん(寄贈者)の伯祖父渡邊什さん(当時22歳)は乗艦していた「扶桑」が雷撃を受け爆発を起こして沈没し、お亡くなりになりました。(乗組員1600人うち生存者10人の記事あり)
また中国の満州(現・中国東北部)に出兵された3人の方の資料があります。帰還できた諸戸安雄さんの記録からは、広い満州を組織された小編成の討伐隊で討伐していく様子がわかります。このようなことは話すことも思い出すのも、嫌なことだろうと感じます。
さらに今回は、プロレタリア文学作家で共産党員でもあった小林多喜二が逮捕、虐殺されたとする新聞や告別式のガリ版刷りチラシも展示します(加藤新一さんの寄贈資料)。当時表立っては出せなかったであろう多くの労働組合ニュース、機関紙やプロレタリア文化誌などの復刻版もあります。そこからは、自由な発言が抑えられていく中で、戦争に突き進む時代に変わる日本が見えます。
寄贈品展が、多くの若者の命が絶たれた事実を忘れない機会になれば幸いです。