市民がボランティアで運営する「ピースあいち」を訪ねて
石川県高等学校退職教職員協議会  糸矢 敏夫



                                           
 

 私たちは、退職後の交流と退職後の生活を守るとりくみの一環として、平和運動や選挙活動も現職者と連帯してすすめています。
 毎年恒例の会の旅行は、旅行社まかせではなく、旅行委員会を開催し見学先を決定しています。その際には必ず、平和や社会問題に関する学習ができる施設見学を行っています。
 近年では加西市の紫電改が展示されている鶉野飛行場資料館、上越市の直江津戦争捕虜収容所跡地平和公園と長岡市の長岡戦災資料館、敦賀市の杉原千畝を紹介した敦賀ムゼウムと小浜市の原発に反対する住職中島哲演住職の妙通寺等を訪れています。


 コロナ禍で3年ぶりとなった今年は、石川県から一泊で行けるコースとして、初めて愛知県を選択しました。その際、旅行委員会で平和学習先を探したのですが愛知県・名古屋戦争に関する資料館とピースあいちが候補として上がりました。

 県内でウクライナ侵略や小松基地の課題を市民と連帯して運動を進めていることもあり、行政が運営する資料館より市民がボランティアで運営する「ピースあいち」とすぐに決定しました。

 県内には戦跡はありますが、大規模な空爆がなかったためか戦争資料館はありません。市民の資金で戦争と平和の資料館を建設し、ボランティアで運営していることがすごいことだと感じました。戦争反対・基地の撤去の大衆運動は行ってきたけれど、市民や子どもたちに平和について学習する資料館を運営するという発想はなかったことに気づかされました。
 丁寧に案内していただき、本当に有難うございました。今後も、地域は違っても志は同じ仲間が全国にいることを励みとして、平和のための行動を積み重ねていきたいと思います。

 

<参加者の感想から>
〇戦争犯罪を加害も含め貴重な資料の掘り起こしを通じて、果たして国民にとって戦争とは何だったのかを問う意味で、この「ピースあいち」の場は極めて今日的に大切に継承すべきだと思いました。今、戦争ができる国につき進んでいる現実に少しでも反対していく勇気を得られました。亡き父は従軍し、復員して38歳の時に私は誕生しましたが、父の背中をみて、戦争にふりまわされ、家族を家において戦場へ行った悔しい思いを私の胸に秘めています。
〇たくさんの資料を拝見させていただきありがとう。「戦後は遠くなりにけり」とか言われていますが、現在の我々も戦争の隣り合わせにいることを忘れてはなりません。「二度と教え子を戦場に送らない」を肝に銘じてこれからもがんばります。
〇どこの戦争関連の施設等を見ても、つくづく戦争の悲惨さを思い知らされる。特にピースあいちの写真はリアルで背筋がそして心が・…。
〇戦争展示が市の中心で常設的になされていることに驚いたと同時に心がゆさぶられました。今の時期がキナくさく、「またもや!」と思うがゆえに、なおさら存在の重さ(貴重)を思います。説明の中で私自身も思い当たるふしがあって(父が漢口で戦病死)、改めて戦争の何たるかを思いました。どうか息長く活動をつづけてください。