国際法に基づくウクライナ戦争の評価および解決◆ピースあいちでゼミの研究発表から
愛知学院大学法学部准教授 尋木 真也
ピースあいちにおける発表の概要
2022年8月18日、私たち愛知学院大学国際法ゼミは、ピースあいちにてウクライナ問題に関する発表会を行いました。テーマは、「国際法に基づくウクライナ戦争の評価および解決」。現在起きているウクライナ戦争について、違法と断じることは難しいことではありません。しかし、それだけで戦争が終わるわけではありません。そこで、私たちは、国際法に基づき戦争を評価しつつ、国際法を武器として戦争終結の解決策を探究しました。
ウクライナ侵攻と領土分離の法的評価
ロシアによる軍事侵攻については、自衛権で正当化できず、国連憲章2条4項で規定される武力行使禁止原則に違反すると考えられます。ただし、このウクライナ侵攻は、法的には必ずしもロシアに固有の事例と評価されるものではありません。西側諸国は、ウガンダやイランにおいて、武力攻撃を受けていないなかで在外自国民保護を名目とした自衛権を行使し、最近では集団的自衛権の名のもとにシリアのイスラム国に空爆を行っています。人道的介入の名のもとに行ったユーゴ空爆や、大量破壊兵器の除去を目的としたイラク戦争も、国際法に基づく正当化は相当困難です。プーチン大統領は、ウクライナ侵攻を開始した2月24日に、これらの先例を厳しく批判しています。
また、クリミアやドンバスの分離独立も、国家承認や領域権原、人民の自決権等の観点から認められないと考えられます。他方で、同様の事例は過去にもあり、特にプーチン大統領は、西側諸国によるコソボへの介入や国家承認と同じことをしただけだと言明しています。
ロシアの立場で考える必要性
他国が違法行為をしているからといって、自国も違法行為をしていいということにはなりません。しかし、他国の行為は無かったことのようにされ、自国だけ非難や制裁を多く受ければ、その国は理不尽さを覚えます。こうした状況下で、戦争をやめろと高圧的に命令されても、はいわかりましたと戦争をやめる国はないでしょう。戦争の終結を目的とする場合、単に侵略者のレッテルを貼るだけでは意味がありません。ロシアのためでなく、ウクライナのために、ロシアの立場で考えることが重要となります。
このことは、敵対行為の規制や戦争犠牲者の保護をつかさどる国際人道法についてもいえます。この法は、侵略国と被害国とを問わず、平等に適用されます。たとえば、自国の戦闘員と文民を近傍に位置させない区別義務(ジュネーヴ諸条約第1追加議定書48, 58条)をウクライナが怠れば、ロシアによる文民攻撃の口実を与えてしまいます。ロシアの戦闘員の立場で考えると、ウクライナの戦闘員と文民を目前にしたとき、自らが殺されないために相手に攻撃を加えるのが通常の心理です。そのため、自国民の命を守るためには、被害国も国際人道法のルールを遵守することが肝要です。他面、こうした攻撃がロシアによる文民虐殺と報じられれば、ロシアはさらに不満と理不尽さを覚えることになります。
歴史の示す道筋
人類は、重ねた戦争の数だけ、戦争を終わらせる努力をしてきました。私たちも、身近な日本の戦争からウクライナ戦争の終結策の示唆を得ることができます。満州事変のフェイクニュースは、リットン調査団による事実調査で客観的に否定され、満州国に対する国際社会の集団的不承認により、満州国の独立と日本の傀儡は阻止されました。
ハイブリッド戦争と称され、情報戦が重視されるウクライナ戦争においては、中立的第三者による事実の明確化が、ロシアの情報戦略をくじきます。また、国連総会決議等の集団的不承認によりドンバス両共和国が独立国でないことが証明されれば、両共和国の要請による集団的自衛権の法論理も崩れます。私たちは、こうして国際法という武器を用いて、ロシアに説明責任を求め続けることが、戦争の終焉をもたらす一助となると結論しました。
企画展を観ながらボランティアと意見交換する学生たち
発表を終えて
以上は、ゼミの学生が、授業にとどまらず、空き時間やオンラインにて議論を重ねたなかで導いた結論です。その後、ザポリージャ原発でIAEAによる事実調査が行われ、学生が必要と考える方向に一歩進んだようにも思います。なお、発表会の様子は、毎日新聞にも掲載していただきました。
【愛知学院大学ホームページ】 毎日新聞2022年8月30日 朝刊 愛知17面 掲載情報
https://www.agu.ac.jp/topics/20220901-01/
私たちは、ウクライナ戦争の終焉のためのこうした努力とともに、今後同様の戦争を引き起こさない努力も必要です。そのために、まずは関係国がイラク戦争をはじめとした過去の戦争をしっかりと反省することが重要と思います。二枚舌を避け、理不尽さを感じさせないためです。また、私たち国際法学者が、広い解釈の幅が許されている自衛権の要件等を再考することも重要でしょう。戦争が起きるとき、その理由は1つではないことがほとんどです。そうした理由となりうる戦争の芽を、1つ1つ丁寧に摘んでおく努力が、私たち1人1人に求められるといえるでしょう。