プロパガンダ・ポスターとの出会い
当NPO理事・教員 西形 久司
わたくし事で恐縮ですが、私の父は北陸の片田舎の農家の次男坊でした。どうせ田んぼは兄貴が跡を継ぐだろうから、自分は村から出ていくしかないだろうとぼんやり考えていた時、役場の掲示板の満蒙開拓青少年義勇軍のポスターが目に留まったそうです。
色刷りの勇ましいポスターに心を奪われた父は、早速家で親父(私にとっては祖父)に話をしたのですが、まったく相手にされなかったのだとか。おそらく次男とはいえ、農家にとっては重要な働き手ですから、祖父としては、手放したくはなかったのでしょう。もし祖父が父の希望を認めていたら、今頃私はこの世にいなかったかもしれません。
プロパガンダ・ポスターは、危うくひとりの少年を誘惑してしまうところでした。父は会社勤めをリタイアしたあと、ひとりで美術展に出かけていったり、自宅に仕事部屋を建て増しして陶芸に熱中したりしていましたから、幼少時からそちらに関心があったのでしょう。色刷りポスターの前でうっとり見とれている、少年時代の父の姿が目に浮かぶようです。というわけで私には、プロパガンダ・ポスターの美しさは罪深さにも見えてくるのです。
『ポスター芸術の歴史』という大判の書物があります(原書房2020年刊)。新聞の書評に、ウクライナ生まれのカッサンドルのアール・デコのポスターの写真とともに紹介されていて、あっさりと心を奪われた私は、早速買ってしまったのでした。その帯には「世紀末、ベル・エポックから1940年代まで、各時代を代表する豪華で装飾的なポスターの宇宙」と書かれています。アール・ヌーボーやアール・デコ、キュービズム、シュールレアリズム、未来派などなど、19世紀末から1940年という時代のヨーロッパやアメリカには、さまざまな芸術潮流が、奔流のごとく噴き出し競い合っていたのでした。
今回の企画展「戦争プロパガンダ~国民を戦争に向かわせた宣伝たち」で展示された41枚のポスターを見ていて、その一枚いちまいがどのような潮流に近いのかは分からないのですが、当時の世界の流行の波が、日本のプロパガンダ・ポスターにまで押し寄せてきていたことは大いにあり得ると思います。今回の展示も、これは当時の最先端のアートなのかも、という目で見てみると、また違った見方ができるかもしれません。
『ポスター芸術の歴史』に収録された欧米のポスターと今回の企画展で展示した日本のポスターとの大きな違いは、商品名や商標が盛り込まれているかどうかという点にあります。
欧米のポスターは企業などの売り込みを目的に描かれた商業ポスターです。出資者である企業のために、消費者を購買行動へと動員することが目的であり、そのための機能が優先されています。つまり見る人の視線を商品や商標に集中させるために、余計なものはことごとく削ぎ落されているのです。ときには人物や乗り物、建物の輪郭までが削ぎ落されました。見る人の焦点をぼんやりさせることによって、光と影のコントラストがよりいっそう効果的になります。つまり見せたい対象を浮かび上がらせ、印象づけるのです。
日本のプロパガンダ・ポスターはどうでしょう。何かを売り込もうとしてつくられたものではないのですが、見る人を特定の行動に駆り立て、動員するという目的そのものは共通しています。
画面から削ぎ落されたものは何かと探してみると、人物の表情に目が留まります。人間の表情には必ず陰影があるものですが、それが削ぎ落され、何の躊躇もなく決然とした意志だけが表現されています。言葉も削ぎ落され、曖昧さのない言葉による直球勝負に徹しています。全面文字ばかりというポスターもありますが、こちらの方はまったくインパクトがありません。また文字情報の多すぎるポスターもあります。通りすがりの人たちの目を引き付け、足を止めさせることがポスターの機能ですから、プロパガンダ効果そのものが「削ぎ落され」ています。
左下のポスターが横山大観作、右下が竹内栖鳳作
横山大観や竹内栖鳳といった日本画壇の大御所たちの作品も、国民精神総動員運動に駆り出されています。画題そのものは国民精神総動員と結びつかないのですが、大御所までが動員されているという事実そのものが、人々を総動員に従わせる効果をもたらしたかもしれません。
プロパガンダpropagandaという語は、ラテン語の増やす、増殖するという意味のpropagoに起源をもつようです。私のなかでは種まきのイメージです。今回の企画展のサブタイトルは「国民を戦争に向かわせた宣伝たち」です。戦争の種まきにアートが利用された歴史を、今回の企画展「戦争プロパガンダ」を通じて、私たちの記憶に刻みつけたいと思います。