連載⑦「日本国憲法を学びなおす」 

ことしは憲法施行40周年 野間美喜子  (1987年2月4日 中日新聞) 

                                           
 
展覧会場の様子1

当日は3000人が来場し、フェスティバルは盛況でした。翌5月4日の新聞には大きな写真が載りましたが、その横には、朝日新聞阪神支局で記者二人が殺傷された衝撃的な事件の記事が並んでいます。(1987年5月4日 朝日新聞)

  昭和22年5月3日施行の日本国憲法は、今年40歳の誕生日を迎える。いま名古屋では市民手づくりの祭典「憲法施行40周年記念市民フェスティバル『ひびけ!憲法のこころ』」の準備が進められている。
メインのプログラムは、評論家加藤周一氏の講演「憲法・守ることと育てること」と、交響曲「5月の歌」である。「5月の歌」は、外山雄三・林光の両氏によって、この記念日のために作曲され、5月3日、市民会館大ホールで名フィルと市民400人からなる合唱団が歌い上げる日本国憲法賛歌である。

  言うまでもなくこの憲法は、明治憲法下において300万人を超える国民の命を犠牲にし、その数倍に及ぶアジアの人々を殺傷したあの15年戦争の反省と贖罪を原点として生まれた憲法である。
国の中に民主主義が行われていないこと、国民に言論や思想や教育の自由のないことが、どれほど政治を誤らせるものか、そして軍隊とそれに結びつく政治がいかに平和と民主主義にとって脅威であるかを日本国民は歴史の中で学び、同じ誤りを二度と繰り返さないためにこの憲法を制定した。

  だが憲法40年のこの歳月は決して平坦なものではなかった。幾度かの改憲の動向はきびしく、憲法の空洞化もいわれて久しい。しかし憲法は、良くがんばってきた。そして常に国民のために奉仕してきた。国民は憲法の平和主義に守られて、わが子を徴兵されることも、朝鮮やベトナムの戦線に送ることもなく、また日本国民の手で他国の若者を一人も殺すことなく今日を迎えることが出来た。
軍事費に多くのお金を費やしてこなかったからこそ、私たちは今ある豊かさを手に入れた。軍事力をバックにした暗黒の言論弾圧も過去のもののように見える。

  だがしかし、憲法40年のこの成果は、果たして揺るぎなく未来へ、子どもたち孫たちの時代へとつなげて行けるのだろうか? GNP1%の枠を越えて増大する軍事費、福祉や労働者の権利の後退、環境破壊、国家秘密法など民主主義の基礎を掘り崩す立法の動き、いま多くの国民はかつてないほどの深い不安につつまれている。

  こうした状況の中で迎える憲法40周年。私たちは、憲法の理念に基づいた戦後民主主義政治を正しく評価し、子や孫の時代へ伝えていく記念日として、この祭典を企画した。
「5月の歌」は、憲法を愛する多くの人々の心にひびき、こだまして、必ずや憲法を守り育てる新たな決意を呼び起こすに違いない。