沖縄県の本土復帰50年
ピースあいち語り継ぎボランティア  岡田 彩花

                                           
 

 ピースあいちリボンの会として戦争の語り継ぎをしながらも沖縄の歴史についてはほとんど無知でしたが、米軍基地問題が今なお残る沖縄の歴史を知らなければと改めて思いました。
 そんな折に新聞記事で沖縄県ご出身・名東区在住の上運天有二さんについて知り、「ぜひお話をお聞きしたいです!」と連絡させていただきました。
 そして、この度、上運天さんと一緒にピースあいちの沖縄展を見学し、沖縄についての語りを織り込んだ三線のサプライズコンサートもしていただきました。

展覧会場の様子1

上運天さんにお話を聞く筆者(左側)

   

 上運天有二さんのご実家は、沖縄県の普天間飛行場の直ぐ側。一日中軍用機の音を聞きながら育ったそうです。
 18歳で愛知県に就職され、その後独立して愛知県で造園業を営んでいらっしゃいます。ホームシックが理由で始めた沖縄民謡もプロの腕前です。

 沖縄民謡に平和の曲・歌詞がたくさんあることや、沖縄について聞かれることが多かったことから、戦争や歴史について学ぶことになったそうです。
 愛知県での戦争にも興味を持ち、豊川海軍工廠跡地や半田の赤レンガ倉庫にも足を運ばれたそうで、話を聞いたり本を読んだりするだけではなく、実際に自分の目で見ることが大事だとおっしゃっていました。  

 上運天さんは、お祖父様を始め親族三人を沖縄戦で亡くされました。
 本土復帰について覚えていることは、通貨がドルから円に変わったこと。小学校でみんなと「沖縄を返せ」を歌ったこと。そして、返還されたら基地もみんななくなるだろうと思っていたこと。

 上運天さんは今、こう語ります。
「守るってなんだろね。敵が攻撃してきたら、あるいは攻撃してくる前にでも、武器を使うってことが正しいのかは難しい。戦争はただ破壊。でも、戦争を始めるのは人間。人間は賢くなって技術が進歩すると、怖い兵器もつくるようにもなる。
 それを止めるのは人間の優しさでしかない。 
 いつの時代も戦争はあって、権力者はトップを取りたがる。過去の教訓を踏まえて、同じことを繰り返さないことが大切だね。」
 上運天さんは教育にも積極的に携わり、各地の学校やイベントで平和の大切さ伝えていらっしゃいます。

 私は、三線は沖縄の心を伝え故郷への愛着を抱かせる存在であるとともに、文化を受け継ぐことも平和を伝える手段だと感じました。
 沖縄の方たちが音楽や唄で団結し、明るい未来への希望をこれからの時代へも続いていくことを願っています。

展覧会場の様子1

*このご来館がきっかけとなり、6月18日午後1時30分からピースあいちで、「三線と唄とトーク 上運天有二コンサート」が開催されました。