連載⑥「日本国憲法を学びなおす」
国家緊急権のわな (2017年)
(野間美喜子遺稿集『向日葵は永遠に』より)
2017年が明けました。みなさま、新年をどのようにお迎えでしょうか。
昨年は、自衛隊の若者が危険な任務を背負って南スーダンへ派遣されてしまいました。南スーダンは日本から1万キロ以上も離れたところ、いまだ内戦が続いている国です。南スーダンの国連PKOに軍隊を出しているのは、主に利害関係の深い周辺の国々であり、アメリカ、ドイツ、フランスなど先進国のほとんどは軍を派遣していないようです。
なぜ、こんな遠い国から、そして憲法九条をもつ日本から若者を征かせなければならないのでしょうか。とにかく無事で、一刻も早い全面撤退が望まれます。
沖縄にオスプレイが墜落しました。危惧していたことが現実になりました。日本は急速に悪くなっていくようで、心の痛む年明けです。
TPP、年金の引き下げ、カジノの解禁など、国民的な論議はもとより、国会の十分な審議さえないまま、政権が政策を強行する局面が続いています。
このうえ、憲法に国家緊急権条項を入れて、政府に権力を集中させる仕組みを許したら、日本はまた独裁的な軍事国家に逆戻りしてしまいます。今、国会の憲法調査会では、憲法改正の突破口として、憲法に国家緊急権条項を創設しようとする動きがありますが、絶対にこれは阻止しなければならないと思います。
国家緊急権とは、戦争や災害などの非常事態において、憲法秩序(人権の保障や権力の分立)を一時停止して、政府に権力を集中させる制度です。
この国家緊急権は、一時的にせよ、憲法の保障する人権を制約し、国会や司法の権限を停止させる制度なので、国民にとっても、民主主義にとっても、「本質的に危険なもの」であることをまず認識し、警戒する必要があります。
歴史的にみても国家緊急権は、多くの国で野心的な軍人や政治家に濫用されてきました。その代表例として挙げられるのは、ヒトラー(ナチスドイツ)がワイマール憲法の国家緊急権(大統領緊急令)を最大限に利用して、独裁権力を掌握していった過程があります。
1933年2月、首相の座にあったヒトラーは、国会議事堂が何者かによって放火された事件を「緊急事態」と称して、老齢で気力・体力のない大統領(ヒンデンブルグ)に大統領緊急令を出させ、言論・報道・集会・結社の自由、通信の秘密を制限し、令状によらない逮捕・拘留を可能にしました。そして対立する政党の党員や幹部を多数拘束したうえで、3月に総選挙を実施して、ナチス党がより多数を握り、すぐさま国会で「全権委任法」(民族および帝国の困難を除去するための法律)を強行採決してしまいました。
国家緊急権を発動してから1カ月足らずで、ヒトラーは、合法的に何でもできる独裁政権を樹立してしまったのです。そこに国会緊急権の本質的な恐ろしさがあります。
日本では今、なんとしても憲法を変えたい人たちが「憲法に国家緊急権がないと災害やテロが起きたら対応できない」という宣伝をしています。しかし、これは違います。憲法制定から70年余、この間、日本には多くの災害がありましたが、その過程で、日本は、災害に備えて十分な法体系を整備してきました。
災害対策基本法、災害救助法などによって、災害時の権力集中や国民の人権の制限を含めて、十分な対応がとれる仕組みを創り上げてきています。今さら憲法で国家緊急権を定める必要は全くなく、これを憲法に入れようとする真の狙いは別のところにあることを見抜かなければなりません。
こんなことを書いているとどんどん長くなってしまうので、この辺で止めますが、今年、憲法改正の突破口として、この「国家緊急権」が浮上してくるのではないかと大変危惧されるので、新年にあたって、この問題を書きました。