ボランティア雑感◆開館15周年・ボランティア続けて15年!

                                           
 

感無量                              竹川 日出男
 本年はピースあいちが設立されて15周年を迎える記念の年である。
  設立に際しては、初代館長となった野間美喜子さんと一緒に活動していた現館長の宮原大輔さんから、野間さんと大学同期で名古屋市役所出身の私に協力を求められた。
 私は早速、当時名大の森嶌昭夫教授に設立のための理事長をお願いし、愛知県、名古屋市への申請のための設立準備会の定款を作成し、設立にこぎつけることができた。その時の定款は現在も残っている。
 この段階では仮事務所は野間さんの事務所に置いたが、新聞報道がきっかけとなって、現ピースあいちの土地と建設費を寄付するという加藤たづさんの申し出があり、ピースあいちは誕生することができた。1年近い建設期間を経て2007年5月4日、めでたく開館した。あらためて感無量である。
 運営にあたって自分に何ができるかを考え、「戦争体験の語り」を手掛けることにした。語り手を募集し、語る場を設け、語り手の方一人ひとりと深く付き合い、信頼関係を築いていった。それが現在の語り事業につながっている。長く一人で担当していたが、近年は支えてくれる仲間が増え、今では安心して任せられる。語り事業は私の大きな「やりがい」であり、「誇り」である。

平和の火を燃やし続けて                      吉田 稔
 よくぞ!15年間もボランティアとして続けてこられたものだと、我ながら褒めてあげたい気持ちです。厳密にいえば、ピースあいち開館の2年半前にこの運動に飛び込んだわけですから、通算すれば18年になります。
 ぼくの思いは、日本国憲法の前文と第9条を何としても守りたいとの一心にあります。ですから、定年前の58歳で『第9条の会なごや』に参加して前館長の野間美喜子さんに出会いました。(講師として)
 さらに、そのためには『戦争の悲惨と愚かさ』を伝える資料館が必要だとの思いでした。まさか野間さんがそんな活動をされているとは知らず、2005年4月中日新聞の『平和のための戦争資料館展』の記事に『代表・野間美喜子』とあり、それを見て、即、そのためのお手伝いがしたいとの思いで飛び込んだのです。
 ところが、時を同じくしてまさかの『1億円と名東区の土地90坪の寄付があった。』ことを聞き、仰天したり、資料館の建設への希望に燃える思いでした。
 当時の初心を忘れないように、この『平和の火』を燃やし続けていきたいと願っています。

                                  

 私が出会った素敵な人たち                     佐藤 和夫
 ピースあいち開館当時、小生が参加した水曜班チームは野間美喜子館長を含めて12名でした。その後、何名かが鬼籍に入られたり辞められたりして当初から残っているのは僅か4名のみ。一寸寂しいです。
 開館以来、野間前館長の人柄とピースあいちの活動に賛同して訪問された著名人について何人か紹介したいと思います(※訪問順)。
・故早乙女勝元氏(東京大空襲・戦災資料センター館長)
・故チャールズ・オーバービー氏(米国で「九条の会」)
・安斎育郎氏(立命館大学国際平和ミュージアム館長)
・天野鎮雄氏(俳優)&山田 昌氏(俳優)
・故大田昌秀氏(元沖縄県知事)
・故大石又七氏(第五福竜丸元乗組員)
・アッシュ・ウールソン氏(イラク帰還米兵)
・中沢ミサヨ氏(「はだしのゲン」作者・故中沢啓治氏夫人)
・元山仁士郎氏(元SEALDs:沖縄出身)
・奥田愛基氏(元SEALDs:福岡出身)
・竹下景子氏(俳優)
・松本 猛氏(いわさきちひろ美術館館長:長男)
・原口尚子氏(「ゲゲゲの鬼太郎」作者・故水木しげる氏長女)
 以上、記憶のままに掲げさせていただきました。

 希望                               田中 十四子
 2005年5月に加藤たづさんという救世主が現れて、やっと2007年5月開館を迎えました。その日から始まった私たちボランティアはほとんどが60代後半と70代の年齢でしたが、新しい挑戦にやる気満々でした。
 共通の目標のもと新しい出会いがあり、刺激し合えることが嬉しくて、当番日にはいそいそでかけました。
 このごろ毎日、テレビの画面で目を覆いたくなるウクライナの戦禍をみて、自己の体験と重ねて肌身で知り、怖さを感じる世代の私たちは、何としても平和の大切さを伝えなくてはとの思いが募る毎日です。
 そんな中、 最近若い方のボランティア参加が増えていることに「希望」を感じています。語り継ぎの会であったり、次世代交流チームであったり、新しい方法を模索しながらの平和活動に心からの声援を送りたいと思う毎日です。

ピースあいちと出合って                      林 和子
 私の「戦争と平和」に対する思いは、結構屈折したものでした。戦争を引き起こしたものへの憤り、平和を次の世代へつなげたいという思いと、しかし職業軍人であった父が行ったであろう加害に目をつむりたい、という思いからでした。
 ピースあいちと出合い、ボランティアさん、語り手さんなどたくさんの方々と出合って、「父の戦争」に向きあう勇気をいただきました。母が残していた父の戦地からの100通近くの手紙の束をほどき読み始めています(とはいっても達筆なのか悪筆なのか、なかなか読み取れませんが…)。ピースあいちの2階の展示にある「ノモンハン」「ニューギニア」。手紙の中からその地に父の姿があったことも知りました。

          

この場が元気で輝いて!                      井戸 早苗
 開館から15年、いろいろな人との出会い、交流が私の大切な財産です。
 なかでも、「人間は三日間で兵隊に改造される。」「新兵へのしごきに命をかけていた古参兵が帰還船から海中に投げ込まれ、命乞いをする姿を見てしまい、自分が命をねらわれる恐怖」など最前線の恐怖や飢えをお話された復員兵の方。銃後の空襲、生活苦、孤児になり改姓などなど、何らかの痛みを持った先輩たち。多くの方々の願いや思いが結集されたこの場所。戦争体験のない次代の人々に広く深く受け継いでほしい。
 私の中にいろいろな思いや力を与えてくれた先輩たち、大切なこの場が元気で輝いてほしい。私の願いです。

 大切な時間                            大久保 清子
 月に一度か二度のピースあいちでのボランティアを続けて15年経ちました。野間さんが元気な頃「ボランティアの皆さんには、それぞれの大事な時間をいただいているのでありがたい」と優しい笑顔で声をかけてくださったことが思い出され、忘れられません。
 2月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻してもう3か月になります。連日テレビで放映される戦禍、たくさんの人々本当にたくさんの人たちの犠牲、悲しくて重い気分が続いています。ルソン島で戦死、餓死したであろう父が重なります。ウクライナに一日も早い平和を願うこのごろです。

最近5年のことと、これからのこと                  加藤有子
 10周年までのことは以前メルマガに書きましたので、その後の5年間の自分のまわりのことをまず書こうと思います。
・昨年(2021年)から運営委員になりました。
・資料班を中心に、毎冬寄贈品展を開催しています。寄贈品展の展示レイアウトは、ここ数年は私が作っています。資料班は新人の方が何人も入られて、作業日はにぎやかになっています。
この後の野望
・資料データベースを活用し、アーカイブを整備したいと思っています。資料の検索用と閲覧用、さらに、オンライン展示会もできるといいと思います。
ピースあいちへの今後の希望
・来館した子どもたちが大人になった時に、また見に来てもらえるような場所であるといいなと思います。