企画展「沖縄戦と沖縄復帰50年」によせて
名古屋市立大学教授 阪井 芳貴
日本政府主催沖縄復帰記念式典で式辞を述べる屋良朝苗知事 (写真提供:沖縄県公文書館)
琉球・沖縄の歴史において、「世替わり」(ゆがわり)と言われる大きな区切りが4回ありました。1609年の「薩摩入り」すなわち島津氏の兵による琉球侵攻、1879年の沖縄県設置すなわち「琉球処分」による琉球国滅亡、1945年の「沖縄戦」終結すなわち「アメリカ世」の始まり、1972年の「復帰」すなわち日本国への編入、この4つです。いずれも、琉球・沖縄の人々の望まない形で世の中が180度転換を余儀なくされた事象です。
今年は、このうち最後の事象、「沖縄の本土復帰」からちょうど50年という節目の年です。そこで、ピースあいちでは、毎年恒例となった6月23日の「沖縄慰霊の日」をはさむ時期の沖縄展を、今年は準常設展「沖縄戦と日本復帰50年」として開催します。
この準常設展と申しますのは、沖縄を日本の戦争と平和を考える上で極めて重要な場所と位置づけ、沖縄について知っておくべき基本的なことがらについて常に確認できるような態勢を取ることと、そこに毎年設定するテーマをかぶせて深堀りする展示も用意する、という方式を意味します。
ですから、今回の展示パネルの半分は昨年までに作成したものを活用しますが、それとともに、これまでの沖縄展にはなかった手法を用いた新たなパネルを作成し、この50年間の沖縄をわかりやすくお伝えします。
さて、この日本復帰50年とはどのような時間だったのでしょうか? また、その時間がもたらしたものは何だったのでしょう? それをウチナーンチュはどのように受け止めているのでしょう? そして、ヤマトゥンチュはどのように理解し、向き合ってきたのでしょうか? さらに、この50年間を踏まえてこの先、どうあるべきなのでしょうか?
上地一史・金城久重 著
沖縄返還前の沖縄タイムス朝刊連載企画
(1960年 沖縄タイムス社)
これらの問いすべてに答えることは難しいですが、少なくとも、沖縄では常に復帰とは何だったのかという問いかけがなされてきたことを踏まえると自ずと答えに近づけるように思います。いっぽうで、復帰して良かったと肯定的にとらえるウチナーンチュが沖縄県の人口の大半を占めることも確かです。しかしそれは、都市計画やインフラ整備など物質的な面、経済的な面への評価に基づくもので、米軍基地問題を主な素因とする「沖縄差別」という言説や自己決定権確立の要求などには、決して復帰が望ましい形では実現していないことを読み取ることができます。
そうした現実、ウチナーンチュが抱える複雑な思いに、ヤマトゥンチュは真摯に向き合う必要があると考えます。
今回の企画展が、一人ひとりが沖縄に向き合うための材料・情報を提供し、考える機会となることを期待しています。